実は
先週の休日
今週の休日と
ガレージ行く前に
鈴鹿の某企業にお邪魔しておりまして。
(本当に、文字通り邪魔しに行っているんだよなぁ・・・)
ボディ造りの基礎的な部分を勉強をさせて頂いております。(汗
しかも、その企業がカスタムカー教室を開いていて、受講料を払って教えてもらっているとかいうわけでは全くなくて(昔、そういう受講を関東までしにいった事があります)
純粋に、社長様の100%ご厚意で、洗練され凝縮された知識・ノウハウの一端を、ご享受して頂いております。(汗汗
勘の鋭い方は、薄々お察しだったかと思いますが…
ブログのネタにしても良いと許可は頂いているので、書かさせて頂きますと・・・
フヂエンさん
正式には
フヂイ エンヂニアリング
さんです。
そこで、今SSK4プロジェクトなどの膨大な仕事量を抱え、1日が48時間あっても足りないはずの藤井社長の、その超貴重な時間の一時を頂いております。まさに、恐縮というのはこう言う事を言います。
一応、言い訳させて頂くと(;・∀・)
僕が突然にフヂエンさんの迷惑も顧みずに、会社にアポなしで突撃した
・・・というわけでは無く!
僕の荒唐無稽なボディ造詣の様子をネットで見た藤井社長の方から、
「基礎くらい教えてあげるから、そのフェンダー持ってうちにおいて」とお声をかけて頂いたというきっかけでして・・・
ええと・・・あの一連の僕の作業は、その道のプロから見たら、居たたまれなくて見てられなかったらしいです。(汗
実は、そういう方々、多かれ少なかれいらっしゃったんですが…
例えば、前回のプライベートブログにツッコミいれてる方。知り合いのプロの板金屋さんなんですが、あの方普段は滅多にコメントすることないんです。なのにあの時は怒涛のツッコミ3連発ですw
他にも「いい加減助けを呼んだらどうか?」という声はいくつか届いていたのですが…
まさか、まだ所在地が四日市にあってM01の制作をヤフーブログに書いてた頃からブックマークしていて、
(その時はAE86にEJ20載せはじめた所で、この記事が検索でヒットした。紅茶号のシフトチェンジ機構のヒントを探してる頃だった)
その時からM01やミッドシップ86を見学したいと思いつつも、基本的にコミュ症人見知りの自分ではなかなか飛び込めず、
(県内ならチャンスは何度でもあると高を括っていたことが結果的に見学のチャンスを永久に失ってしまった)
ある日突然SSK4プロジェクトがメディアで発表され、モーターファン誌の連載も始まり、もう完全にメディアの向こう側の人になったと思って、芸能人を見るファン目線で見ていたところだったので、突然お声をかけられた時は、青天の霹靂というか驚天動地といいますか・・・
その時は
「これは、神が与えたもうた、僕がフヂエンさんを見学できる最後のチャンスだ!」
と思ったわけです。
そうです。最初の目的はミッドシップ86やM01を造り、そして今SSK4というビッグプロジェクトが進行中の地元企業を、一度は見学したいという動機にあり、「基礎を教えてもらう」というのは、明確な用事がなければ訪問なんて出来ないコミュ症な自分が、会社見学をするための口実という側面が強かったと言ってもいいでしょう。
ですが、フヂエンさんを初訪問したその日に、僕は悟りました。
「このチャンスをここで見逃したら、紅茶号の完全完成はもう二度と無い」と。
初めてお会いした藤井社長は、寡黙な佇まいの中にギラギラした熱い闘志が垣間見えるような、とてもスーパーな感じの方でした。
ですが、様々な経験やノウハウから包み隠さずお話してくれる一方で「その車はあくまでも君の車だから、君が造りたいように作ればいい」と、
客観的な正解を持っているけどそれを押し付ける事はしないという、僕のようなペーペーの素人にはもったいないご配慮もして頂けるような方でした。
当日、フヂエンさんの社員さんが自主制作していた面白くて高度な
(そして、これは絶対に日本で誰かはやると思ってた)改造車を見せてもらってる時に、カルビという会社の新井社長さんという方がたまたま来訪されて、藤井さんの紹介でいろいろお話を聞かせて頂きました
(レース関係企業に疎い僕は存じ上げてなかったのですが、知る人ぞ知るカーボンコンポジットの大家だとか)
物事の方法論とか、考え方とか、新井社長からお聞きした話した様々ですが、グサリと胸を貫いた言葉は
「時間は有限」
「やるなら早く」
という在り来たりな言葉でした。在り来たりですが、至言でした。
ちなみに、その時目の前に有った改造車は、紅茶号に近いコンセプトだったんですが、車体にエンジンは既に載っていて製作者本人に
「ここまでするのに時間はどれくらい?」と聞くと帰ってきたのは
「3か月くらい・・・」と。僕より小学校一回り以上年下の若いメカニックな方の自主制作です。
振りかえって自分。
23歳くらいでスタートした、この改造計画。
当初は3年くらいで完成させるつもりが、どんどん改造箇所が大規模になっていって
なんとか三十路までには造ると決めていたのに
気がつけば先月33歳の誕生日を迎えていました。
昨夏には、ガレージ環境維持の要である伯父が緊急入院をするアクシデントもありました。
正直、そろそろ限界は感じていたんです。
この改造計画には、対外的な意味や意義は何もありません。
FFのミッドシップ化も、パイプフレームも、実際にやる人やれる人は1万人に1人くらいかもしれませんが、日本には人口が1億いるんです。ってことは、1万人に1人クラスでも1万台は存在するわけです。(笑)
つまり、ミドシップ化もパイプフレーム化も、なにも目新しいものでも何でもないわけです。
では、この10年もかけた改造計画のどこに、第三者が着目できるような目新しさがあったのかといえば、それは
かけらも専門教育を受けていない文系卒素人が、たった独りでパイプフレームとミッドシップの車を造ろうとしたら出来るのか?
そして、それはどんな形が生まれるのか?
という
トリビアの種の実証実験だったんじゃないかと。
そして実験結果は
とりあえず10年間、モチベーションの波は訪れるけど、やり続ければ
素人でも
ミッドシップ化と、
パイプフレーム化は
誰でも独りで出来る
だけど
ボディメイクは無理
という事が分かりましたね。(^^
それが解っただけでも、この10年の無駄な時間は無駄じゃなかった。
そしてその情報を全世界が共有できる場所に発信した。
その事が、対外的な紅茶号改造計画の意義であったのだと思います。
おそらく、あのままパイプフレームの時の同じような、完全孤立独学独歩型アプローチをとっていたら、まともに見れるようなモノができるまで、パイプフレームにかかった時間の3倍はかかっていてもおかしくはなかった。
その事を、経験者が見れば容易に想像がついたのでしょう。あのボディ造りの結末がどうなったかを。
だから、僕がやりだしたあの荒唐無稽なボディ造りに、思わず声をかけてしまったのって
『大地震が起きた直後に、海へ向かう若者を見かけてしまった』
そんな場面に出くわしたようなものだったのかもしれませんね。
審査員のタ○リさん、このトリビアの種、何分咲きでしたでしょうか?
