http://tver.jp/episode/27004698
噂で知った時には既に地上波放送は手遅れだったけど、2017年未来都市 夢は全て叶う時代の日本では、ネットで再放送が見れるんだぜ。
で、見たんだぜ。
超、おもしろかったよ(・∀・)
さすがの老舗番組だけあって、万人が見ても面白いように作ってあるし、それでいて車好きは多かれ少なかれどこかに感情移入ができる要素がつまっていると思う。
そして、見ていてとても不思議に思ってくるのが、最初は番組の笑効果音と一緒に笑えるんだけど、途中から効果音は笑かしにきてるんだけど、こっちは笑えなくなってるんだよねぇ。
具体的には、まさかのシルバニアファミリーのくだりは僕もげらげら笑ってたんだけど(あれは確かに不気味(笑))、ヴィヴィオとの会話シーンではTVは笑ってるんだけど、俺真顔状態っていう。
あのくだり、本当に純粋に車愛な人たちには、あそこで笑い声が入るのが不快かもしれないんだけど、自分はそうは思わず、ただただ「車好き」っていう価値観について考えてた。
数年前、別のSNSであげてた内容で、ローカルの車好き仲間から苦言を言われたことがあって、つくづく思ったのが「車に興味がある」っていうことと、「車が好き」っていうのは=ではないってこと。
自分は、自分の感性に(それが他人に迷惑をかけない範囲であれば)あれこれ言われたくないので、他人の感性に直接あれこれ言わないようにしている。すくなくとも否定的な事は。
で、自分が「車が好き」ではない事は昔から自分自身がよくわかってたんだけど、そのトラブルがきっかけで、「車好き」とは距離を置くようになった。
あの時のトラブルを見ていた、普段からよく顔を合わす第三者(そこそこの車好きで会社の後輩)からは「Gさんは車が好きなんじゃなくて、メカニズムとかが好きなんだもんね」と言われ「おまえは俺の事よくわかってんなぁ・・・(´・ω・`)」と苦笑したもんです。だから自分は、自分の車を愛車とは言わんのだ。
そんな、いろいろと心に闇のある自分にとって、あの100%純真無垢な車愛を見せつけられたシーンは、自分には絶対に手に入らないものを見る羨望と、でも、ああいう感性を持ってしまったら、自分のこの人生の楽しさは決してなかったであろうという達観があって、なんとも複雑な気分になって笑えなかったのです。
嗚呼、そうだろう。 あそこまで純真に車を愛している人間に
これはできまい(´・ω・`)
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まぁ、とにかくいい番組でした。
思い出の車の次に、思い出の臭いダチョウの卵という流れも最高だった。
まだ見てない方は、配信が終了してしまう前に是非ともご覧くださいな。
おまけ:(ここからは毒吐くよ)
実は、今うちのガレージには
こんなのがある。
V型2気筒のリッターエンジン。
これは前回も登場した知人から2年前に買いとったもの。
その当時、知人との話している時に
「ヴィヴィオの次は、ビートにバイクのエンジン載せたいなぁ。世界的にはそういう時のエンジンって決まってスズキかカワサキなんだけど、ビートに載せるならホンダエンジンじゃないとストーリー性が無いよなぁ でも、ホンダのスーパーバイクのドナーって全然見ないんだよなぁ」
って言ってたら
「あるよ! いいのが!」
って、見せてきたのが彼が持ってたこのバイクだったんです。
家庭環境の都合で、手放したかったみたいで。
自分としては、いつになるかも分からない遠い将来の事だったんで、そんなすぐ手に入れようとは思ってなかったんですが、まぁせっかくの機会だったので買い取ることにしたんです。
ただ、ちょっと気が引けたのが、彼が根っからの「バイク・車好き」な人だったこと。
僕はもう過去の経験からも、見知った車好きから愛車を買いとるのはあまり乗り気になれなかったんですが、まぁ流れたなら流れたでいい話だったんで、交渉成立する前にはっきり言ったんです
君が
そのバイクにどれだけ愛情を注いできて、どれだけ思い出が沢山つまっていようとも、君が
そのバイクをお金に換えて手放したのなら、その瞬間このバイクの所有権は100%僕になるよ?
僕のモノになったら、何をしようが僕の自由であって、当初の予定通りならドナーにするわけだから
バラバラに切り刻むし、しかもまともに完成するかも保証は無い。もしかしたら、結局乗らずにまた売るかもしれない。
それでも良いなら買うけど、どうする?
そしたら彼は「それでも良い」といったので、今コイツはうちのガレージの第二倉庫の中で、動体保管されています。
僕はよく聞くフレーズである
大事に乗ってくれる人に売ります
っていう売り文句が嫌い
そんなに大事なもんだったんなら、一生添い遂げろよと思う。
それか本当に大事に乗ってほしいと思うなら、自分が手放してからも手放した車が大事に乗られなくちゃいけないなんて呪いのような情念を次のオーナーにかけんなら、金に換えんなと。
自分では維持できなくなったけど、自分の代わりに末永く維持してくれるなら、対価はいらない。大切に、大事に乗ってもらう事が対価だ。
そんくらいの事をして初めて、手放した後の車のことに干渉する権利を持つと、僕は思ってる。
そういう意味では、愛が深すぎたゆえに、自らの手でスクラップにした、あのヴィヴィオオーナーに対して、僕は心底尊敬するし、その愛は本物だったと思う。
本当に、羨ましいと思うくらいに本物の愛情だったと思う。
さて、今年紅茶号がめでたく完成したら、ようやくこいつの出番がやってくるんだよな。
床に穴が開いて、もう自分では維持する事が出来ないからと、溺愛してた前オーナーから譲り受けたこの車。
今は検切れ動体保管状態だけど、こいつはいつか再び公道を走らせるよ。
紅茶号の材料に使った、機械構造用炭素鋼管は、まだ結構残ってるからね。(笑)
Posted at 2017/03/05 22:49:13 | |
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四方山話 | 日記