
お疲れ様でした。
発表に際しては、シューマッハ好きにほ、泣かせることをしてくれました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160903-00000000-fliv-moto
F1引退を発表したフェリペ・マッサ(ウィリアムズ)は、ミハエル・シューマッハと同じ場所を引退発表の地に選んだと話している。
35歳のマッサは、F1イタリアGP(4日決勝)を前にした1日(木)に、時折涙ぐみながら今季限りでのF1引退を発表した。
ちょうど10年前には、同じモンツァ・サーキットで当時フェラーリでチームメートだったミハエル・シューマッハが引退を発表していた。
■「ミハエルは僕のキャリアを救ってくれた」
「F1引退を発表する場所にモンツァを選んだのは偶然じゃない」とマッサは語った。
当時、フェラーリはすでにキミ・ライコネンとの契約を決めており、マッサとシューマッハのどちらを残すか検討していた。
「ミハエルが引退を決意したことで、その後のシーズンもフェラーリで続けられることが僕にもはっきり分かった」
「2006年にミハエルは僕のキャリアを救ってくれた。それを僕は決して忘れない」とマッサが語ったと『Blick(ブリック)』紙が伝えている。
マッサは、すでに「数か月前」から引退を決意していたと話している。
「2017年については、ほかのどのチームとも話はしなかった。ウィリアムズとすらね」とマッサが明かしたとブラジルの『UOL』は伝えている。
■チームメートからも賛辞
マッサのチームメートであるバルテリ・ボッタスは、フィンランドのテレビ局『MTV』に次のように語っている。
「フェリペはすごくいいチームメートだ。ドライバーとして少し過小評価されているんじゃないかと思う」
「最近のレースは彼にとってちょっと難しいものだったけれど、きっと復活するよ。彼はけなすところがまったくない人だ」
どんなに素晴らしいドライバーでも、必ずいつか現役を引退するときが来る。
しかし、そのタイミングを自分で決められるドライバーはほとんどいない。
ほかのスポーツでも華やかに自分が歩んできた道に幕を降ろすことができるのは、ごくわずか。
多額のスポンサーマネーが動くF1の世界では、なおさら難しい。
シーズンが終了後のシート争いに敗れた末に、静かにこの世界を後にするというドライバーがほとんどである。
その中でも、もっともドライバーに厳しいと言われたチームが、ウイリアムズだった。
1996年に初の親子チャンピオンに輝いたデーモン・ヒルがチームを追われるようにして去ったかと思えば、そのチームメートだったジャック・ビルヌーブもタイトルを獲得した翌年にチームを去った。
その2人以上に衝撃的だったのは、'92年のナイジェル・マンセルの電撃引退である。
“セナ・プロ”にプライドを傷つけられたマンセル。
当時、マンセルはアラン・プロスト、ネルソン・ピケ、アイルトン・セナというスーパースターたちと並ぶ四天王と呼ばれていたが、ほかの3人がタイトルを複数回獲得していたのに対して、'91年まで無冠だった。
'92年はウイリアムズとの結んでいた契約の最終年だった。
そのラストチャンスで、マンセルの才能はウイリアムズが製作したハイテクマシンとともに一気に開花し、念願のタイトルを獲得した。
苦節12年の末につかんだチャンピオンの座だったが、逆にチームとの翌年の契約交渉はもつれ始めさせていく。
理由は'92年に休養していたプロストが'93年にウイリアムズから復帰しようとしていたからである。
さらにセナが「ウイリアムズなら無給でもいいから乗りたい」と発言すると、チームは契約金の値引き交渉を開始。
チャンピオンとしてのプライドを傷つけられたマンセルはチームの制止を振り切って、自分自身で記者会見を開いて、F1からの引退を発表したのである。
広報担当は「会見を中止させろ!」と告げたが……。
そのとき、ウイリアムズで広報を務めていたアン・ブラッドショーは後日、その引退会見を次のように述懐していたものである。
「私もあの引退会見は忘れられない。ナイジェルはチームに何も告げずに自分で決行したんだから。
じつは私がナイジェルの動きを察知して、そのことをフランク(・ウイリアムズ代表)に知らせると、フランクはすぐに自らのスタッフにこう告げたんです。
『すべてナイジェルの望みどおりにするから、会見を中止させて来い』」
しかし、一度狂った時計の針は元には戻らない。
ウイリアムズから送られてきた使者の制止を振り切って、引退会見を続けたマンセルは、ついにこう宣言するのである。
「私の力が及ぶ範囲外のことで、私は今シーズン限りでF1を引退する決意をしました」
24年後のモンツァでマッサの引退会見が開催された。
その会見が行われたのが、イタリアGP決勝レースを目前に控えていたモンツァだった。
それから、24年――そのモンツァでウイリアムズが緊急引退記者会見を開いた。
ただし、それはドライバーが勝手に開いたものではなく、チームが会場をセッティングし、会見場の最前列には家族のための席が用意されるという和やかな雰囲気だった。
会見場に登場したのは、フェリペ・マッサ。
ブラジル人で今年14年目のシーズンを送っているベテランの35歳のドライバーである。
「数カ月前から心の中で決めていた」というマッサ。
決心を固めたのは、7月末のドイツGPが行われていたホッケンハイムリンクだった。
モーターホームの自室に交渉を進めていたマネージャーを呼び出し、引退の意思を固めたことを告げた。
「僕はウイリアムズ以外のチームへ行くつもりはない。だから、もう交渉はストップしてもらっていい」
「ウイリアムズでF1人生の幕を引けて本当に幸せだ」
ベテランのブラジル人ジャーナリストのリビオ・オリッキオは、いつもと違うマッサのことが強く記憶に残っていたという。
「フェリペは嘘をつけない人間だから、表情や言葉のはしばしに本音がにじみ出ていたんだ。イタリアGPが行われるモンツァで何らかの発表を行うってね」
だが、オリッキオはそのことを記事にしなかった。
なぜなら、それはマッサが自分で下した引退という決断だと悟っていたからである。
自分が書いた記事によって、その決断を台無しにはしたくない。マッサの口から発表してほしかったからだ。
2016年9月1日、イタリア・モンツァ。
ウイリアムズのスタッフ、家族、メディアに囲まれながら、マッサはこう語った。
「長年僕を支えてきてくれた全ての人にも心から感謝したい。そして、ウイリアムズという伝統あるチームで、自分のF1人生に幕を引くことができるなんて、本当に幸せだ!!」
その言葉を、ウイリアムズ代表はどんな思いで聞いていたのだろうか。