
240と660に155が加わり、ぜんぶ足せば1055
3桁車名ばかりの3台持ちライフを始めることになった
将来、自分の人生を振り返るときに、この3台を維持している期間がカーライフのピークだった、ということになるのだろう
ナンバーを切って長らくガレージで眠らせていたアルファロメオ155
いつかネオクラシックなカッコよさが出てきた頃にまた乗ろう、
そう思ってガレージの奥に仕舞い込んでから20年
部品調達が危うくなってくるほど、充分ネオクラシックになった
とっくに機は熟している
自分の年齢、この先の運転免許寿命を考えても、そろそろ復活させなければ、楽しむ機会を逃すのではないか?
そんなことを考え始めてから、修理に対応してくれそうな整備工場の情報収集、訪問交渉を開始
のんびり行動したせいで、預け先を決めるまで3年もかかったが、あるアルファオーナーの方に情報提供いただいた整備工場、旧い輸入車の再生ノウハウがあって気分よくお願いできそうな相性の良さを感じたので、155再生を託すことにした
クルマを預けて3週間ほど
部品が揃い、交換して、エンジンかかり、車検取れる状態になった
という連絡をいただいた
そのままの勢いで車検をお願いし、ナンバーが付くまで全体で1ヶ月足らず
最低でも2ヶ月はかかると思ってたが、ずいぶん早く乗れるようになった
1台で2度目の納車のときめき

1度目よりも嬉しい気がする
20年ぶりに公道を走れるようになった155

左ハンドルMTの運転操作、20年も経てばさすがに体も覚えていない
20年前のことがいろいろ思い出される
タイムマシンで過去に戻ったような感覚にもなるし
20年前に封印したタイムカプセルを開けたような不思議な気分でもある
昔の彼女が当時のまんま、というか更にキレイになって目の前に現れた、そんな感覚もある

空の下で眺めるのも20年ぶり
ちょうど100年前、1923年のエピソードから連綿と受け継がれる伝統のクアドリフォリオ
歴史の長さが違う

後から貼ったものではなく、納車時から付いていた
アリヴェデルチ(ファイナルエディション)の装備だったのか?
茎の向きに諸説あるが、このクルマは左右とも茎が左下に伸びる同じものが貼ってある
クルマも齢とともに貫禄が出てくるものなのか

不格好であまり好きではないスタイルも「今には無いモノ感」旧車的な味わいが出てきたように思う
走り出して、こんなにいい車だったっけ? という驚き
とりあえず履かせた柔いタイヤのせいで、思いのほか乗り心地が良くボディの軋みも少ない
定速走行なら現代のCセグ車よりも静粛性が高いと感じたり
まろやかでソフトな感触が全体を支配していて、その優しい乗り味は女性的に感じられた
よく、イタリアでは車は女性に例えられると聞く
フェラーリなんかその代表格だろう
角張ったデザインや、DTMでのベンツ190との体当たり戦のイメージも相まって、155は男っぽい無骨な印象が強い
だからイタリア本国では人気が無かったと聞く
日本ではDTMの武闘派のイメージがウケて、155はスポーツセダンと捉えられている
だが久しぶりに新鮮な気持ちで乗ってみると、本来はフィアットの基本設計により生み出された快適サルーンであることを実感
今回の復活に向けて当時の雑誌を読み漁り復習したこと、
アルファロメオが業績不振でフィアット傘下に入り、ティーポ2/3プロジェクトの制約だらけの中で開発されたことが悲運だとされる155
次の156は、ある程度自由な設計が許されてアルファロメオの復興を華やかに彩ったのはご存じのとおり
155には開発時の苦しい時代背景が影を落としているネガな部分は確かにあるが、だからといって決して手を抜いて作られたクルマではなく、許された条件の中で最善が尽くされている、と乗ってみて感じ取ることができた。
エンジンの音色だけに心を奪われて買ったクルマ
購入当時、ボディの緩さなどはただの欠点と捉えていた
だが今なら、そんな悲運を乗り越えて開発された影がある成り立ちも含めて「愛おしさ」と捉えることもでき、アラサーだった頃の自分よりも今の方が155という車を深く理解し感じ取れる
「155でなければ」と何台も乗り継ぐ熱狂的なファンがいるのもわかる気がする
アクセルを軽く踏むたびに、ふわっふわっと軽く吹けるブッソV6
変にパワーを追求してない分、意外と低回転でも粘りがある
このエンジンのハイライト、4000回転からのブォ~ンも健在
155は当時のDセグメントだが、いまならCセグメントのサイズ感
いまどきのCセグに6気筒なんかあり得ない(M240iはCセグ6気筒だが・・・)
車格に似つかわしくない滑らかさ、高級感が感じられるエンジン
ブッソV6の優しさに包まれるような走行感覚
低回転では優しさ
中回転では爽やかさ
高回転では吠え
エンジンの情感の豊かさに、乗っていて笑みが止まらない

目で楽しめば金管楽器、耳で楽しめば木管楽器
信頼性やらボディ剛性やら、そういう理屈よりもハートに刺さる芸術的センス
それによる人生の愉しさ豊かさを尊ぶのがイタリア車なんだと再認識

キーのデザインひとつとってもそれが表れている。
透過・不透過を使い分けて昼と夜で表情を変えるメーターの造りもデザインセンスを感じる

昼はムカデの足のような赤く細かい目盛りが見えて挑戦的な印象だが

夜はレッドゾーン以外の細かい赤目盛が見えなくなり、落ち着いた印象に変わる
価値観、大切にしているものが日本車やドイツ車とは違う
当時もそう感じたことを思い出した
壊れないクルマが一番、エンジンは滑らか・静かなほど良い、そういう価値観の人はトヨタ車を選んだ方が無難だろう
自分の経済力を周囲にアピールしたい、クルマは見せてナンボ、そう考える人には、大きいベンツやアル・ヴェル、ランクル300などいくらでも他の選択肢がある
「音がデカく迫力がある」とか「速い」とか、そう単純なことではない
ネオクラのラテン車は、音色、響き、感触、そういうものを感じ取って楽しめる人向けのクルマ
お腹が満たされればいい(目的地に着けばいい)、映ればいい(自慢したい)、そういう人には勧められない
美味しいものを食べたい=移動を楽しみたい、そういう人が乗るのがアルファロメオ
イタリア車万歳!!
心底、手放さなくてよかったと思う
いつか乗ろうと、手元に置いておく決断をした20年前の自分を褒めてあげたい
そして、短期間でサラリと蘇らせてくれた主治医の対応と技術力に感謝
維持していくうえで、これからいろいろ苦労がありそうだが、生活を壊さない範囲で楽しんでいきたい
