11月29日、島根の2日目。
松江市中心部から山陰自動車道でいっきに出雲市へ向かう。
出雲ICで降り、神西湖を回って県道39号線で「須佐神社」へ向かった。
明け方に雨が降ったようで道は濡れていたが天候は回復してきている。
【須佐神社】
島根県出雲市佐田町須佐730
御祭神
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建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)
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櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)
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足摩槌命(あしなづちのみこと)
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手摩槌命(てなづちのみこと)(須佐家の祖神)
諸国を開拓した須佐之男命が最後の国造りになったのがこの地であり、自ら気に入ったことから、土地に唯一自らの名を付けた。
終焉の地でもあり、自らの御魂を鎮め置かれた霊跡でもある。
『延喜式神名帳』、『出雲国風土記』や古文書に「須佐社」と記載され、創建が神代と云われれ、古くは北の宮尾山に鎮座していたが、天長年間(824年~834年)に現在地に遷座。
”須佐神社七不思議”があり、本殿裏には樹齢1200年を超える老杉が立つ。
全国にある「須佐神社」の総本山であり、鳥居脇の社号は「須佐大宮」と刻まれている。
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新車の御祓いをしていた。
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「須佐神社」から国道184号線で出雲市方面へ抜ける。
途中、景勝地の立久恵峡があるが、紅葉は終わり天候もあまり良くなかったので立寄ることはしなかった。
山陰自動車道を過ぎ、出雲市駅の手前で斐伊川に掛かる南神立橋を通る「簸川南地区広域農道」(通称:出雲ロマン街道)で「斐川フレッシュパーク 出雲いりすの丘」を目指す。
国道9号線とほぼ平行する形の「簸川南地区広域農道」は、松江市宍道町から出雲市多伎町に至る全長約27kmの道路だ。
そこそこの交通量がある国道9号線を避けるにはもってこいだし、信号が無い分非常に早い。
「斐川フレッシュパーク 出雲いりすの丘」内にある立ち寄り温泉施設の「
ひかわ美人の湯」に立寄った。
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泉質:ナトリウム・カルシム-硫酸塩・塩化物泉(硫酸イオンが多い)
入浴料:500円
ここは、日本三美人の湯と称される「湯の川温泉」の源泉を利用している。
「湯の川温泉」は、神代の昔、大国主命と恋に落ちた因幡国の八上姫が大国主命を追って出雲国に旅する途中に身を休め、いっそう美しくなったと云われる古湯。
云われはどうあれ、湯は特色を感じられず、どうもイマイチな気がする。
但し、ここの施設の露天風呂はなかなか趣きのある造りで好感が持てた。
神社巡拝は続く。
【立虫神社・万九千神社】
島根県出雲市斐川町併川字神立258
御祭神:立虫神社
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五十猛命(いそたけるのみこと)=『古事記』の
大屋毘古神(おほやびこのかみ)と同神
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大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
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抓津姫命(つまつひめのみこと)
御祭神:万九千神社
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櫛御気奴命(くしみけぬのみこと)=須佐之男命
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大穴牟遅命(おおなむぢのみこと)=大己貴命
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少彦名命(すくなひこのみこと)
※その他、八百萬神々
二社が同一境内に祀られていて、どちらも『延喜式神名帳』、『出雲国風土記』に記載されている古社。
境内には多くの末社がある。
『延喜式神名帳』、『出雲国風土記』に記載される「神代社」(現在の「神代神社」)の境内社として「立虫神社」が鎮座していた。
洪水により「立虫神社」が神立大明神として独立し、現在の斐伊川中で神立橋の大津寄りにかつて在ったという島地に移動し、「神代神社」は雲市斐川町神庭に移動。
寛文年中、斐伊川の川床の変遷により島地消滅で万九千神社の境内へ遷座した。
「万九千神社」には拝殿のみで本殿はないが、拝殿後方に「神籬磐境」があり石柱が立っている。
ちなみに「万九千神社」は、神在月に全国から集まった神々が帰る際にこの社から発つ「神等去出(からさで)」の場所である。
ネット上にある数年前の写真では周囲が田んぼだったようだが、今では宅地化が進んで目前に新築民家が迫ってきている。
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【長浜神社】
島根県出雲市西園町上長浜4258
御祭神
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八束水臣津野命(やつかみずおみつのみこと)
※布帝耳命(ふてみみのみこと)・淤美豆奴命(おみずぬのみこと)を配祀(両命は『古事記』にのみ登場)
”出雲”の名は、この地方の供え物の海藻の厳藻(いずも)が語源になったと云わている。
また、『出雲国風土記』には八束水臣津野命が出雲の国号命名者と記載されていることから、『出雲国風土記』記載の「出雲社」、『延喜式神名帳』記載の「出雲神社」に比定する説があるが定かではない。
社殿は延宝3年(1675年)に焼失し、松江藩主松平綱近によって造営された。
祭神が「国引き神話」の主人公であることから、綱引きの祖=スポーツ上達・不動産守護の神としても知られる。
お賽銭を入れたらセンサーが働いてメロディーが流れ、突然、太鼓が鳴り響いて何事かと焦る。
どうやら、それを合図に社務所の礼装の神主が賽銭のお礼代わりに太鼓を打つのにはちょっと驚いた。
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【厳藻(いづも)かけ】
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長浜神社の参拝の後、12時を過ぎてはいたが、昼食の前に「
旧大社駅」に寄る。
天候は良くなかったが、幸いなことに観光客も少なく、写真を撮るのには都合が良かった。
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こぐぷーさんの
この記事の写真にリスペクトしてみた。
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少々遅くなったが、出雲大社周辺で昼食にする。
グルメ検索して出てくるのは有名な「出雲そば」と「ぜんざい」ばかりだが、その中に「
大社焼きそば」なるものが出てきたので行ってみることに。
店は「
旬の料理 きんぐ」という変わった名前だ。
老舗であり、昔は博多ラーメンの店だったらしく、現在はふぐ料理も可能な小料理屋である。
「大社焼きそば」は、”普通な塩焼きそば”であるが塩味は少なく、ソースが後がけなのである。
”標準的”なソースと”辛め”のソースの2種類があり、好みで選んでかける。
一般的なソース焼きそばとはまた違う味覚で、これはこれでアリだと思うし、昔ながらのラーメンも人気なようで地元でも好評なようだ。
たまたま駐車できたが、特に店の駐車場は無く、道も狭いので店まで車を乗りつけないほうがいいかもしれない。
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【日御碕神社】
島根県出雲市大社町日御碕455
御祭神:神ノ宮(上の宮)
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建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)
御祭神:日沉宮(下の宮)
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天照大御神(あまてらすおおみかみ)
『出雲国風土記』記載の美佐岐社、『延喜式神名帳』の御碕神社と記載されてい古社。
上の宮「神ノ宮」と下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」との上下二社からなり、両社を総称して「日御碕神社」と呼ぶ。
神ノ宮(上の宮)は、須佐之男命が熊成の峯に立って柏葉をとって神魂の鎮まる地を占ったところ、日御碕の隠ヶ丘に止まったことから天葺根命(あまのふきねのみこと)が社壇を設けて奉斎し、安寧天皇13年(紀元前535年)に勅命により現社地に遷座した。
これが『出雲国風土記』の「美佐伎社」。
日沉宮(下の宮)は、神代の昔、天葺根命が文島(現、経島)天照大御神の神託により大御神を祀ったのが始まりで、村上天皇の天暦2年(948年)に勅命により現社地に遷座したという。
「伊勢神宮」が「日の本の昼を守る」のに対し、「日御碕神社」は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社でもある。
社殿の造営は創建以来二十数回にも及び、現在の社殿は三代将軍徳川家光の命により松江藩主京極忠高が寛永14年(1637年)に着手し、松平直政が寛永21年(1644年)に完成させた。
かつては多くの仏教建築物が在ったが、明治の神仏分離によりほとんどが解体されている。
現在、神ノ宮は修復中である。
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宿のチェックイン前に、「
稲佐の浜」に寄った。
『出雲国風土記』の冒頭に登場する「国引き神話」で知られる浜。
浜には一つの丸い島があり、社が経っている。
古くは遥か沖にあったらしいが、近年は砂浜が広がって歩いても行けるようになったという。
旧暦10月の神在月には全国の八百萬の神々を迎えする浜であり、旧暦の10月10日に神迎祭が行われる。
今年の旧暦10月10は新暦11月23日だった。
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【出雲大社】
御祭神
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大国主大神
宿のチェックイン後に出向く。
多くを語る必要は無いと思うが、出雲では旧暦の10月は八百萬の神々が集まり、様々な縁結びの神議り(かみはかり=会議)をする”神在月”である。
神議りの期間は一週間で、実際の神議りは、大社から少し離れた「上の宮」とされている。
旧暦の10月11日~10月17日(2012年は11月24~30日)には、大社では神在祭他神事が行われ、大勢の人々が参拝に集まる。
「縁結大祭」の多過ぎる参列者のためのテントが出ていて撮影には邪魔だが、夕刻では思いのほか人が少なかった。
本来、神議りの期間中は神議りに支障がないよう静かに過ごす(工事や家の建築等も中断する)ものだが、人出が多過ぎると神議りの支障になるのではと勘繰ってしまう。
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270畳という大きさの神楽殿は他の社のものと比較すると異質な感じがする。
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参拝を終え、帰りには暗くなり始め参道に灯が燈る。
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【竹野屋旅館】
今宵の宿は、勢溜の鳥居(木製)前にある、創業130年の老舗「竹野屋旅館」だ。
実はこの旅館、ミュージシャン「
竹内まりや」さんの実家である。
建屋の概観は非常に鄙びているが、内装は小奇麗で、敷居は高くなく格式ばったところも無く、接客もしっかりしていた。
それにしても、玄関からの50畳を超える畳のロビーは、いかにも”日本の…”という感じだ。
奥にあるフロントの横で、普通の土産品といっしょに”竹内まりやグッズ”を売っている。
ちなみに、グッズが買えるのは宿泊客か予約の食事をした人だけだ。
2枚目の写真の奥で写っている男性が、現在の主人で竹内まりやさんの兄である。
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やはり買わずにはいられず、Tシャツ、トレーナー等を買ってしまった。
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夕食は、派手ではないが丁寧な造りと味の料理だった。
ただ、この日は神在祭での「”夜神楽”特別祈祷」に参列するため、夕食の時間が17時からとちょっと早い。
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【”夜神楽”特別祈祷】
神在祭の期間中、旧暦10月11日~16日(2012は年11月24日~29日)の毎夜、出雲大社の神楽殿にて「”夜神楽”特別祈祷」が行われる。
せっかくなので祈祷参列をしてみた。
祈祷の申し込みは、神楽殿左の受付所で、始まる19時まで受け付けている。
初穂料は、縁結びや心願成就などの願い事一つにつき参千円。
周辺の旅館でも宿泊者には旅館での受付けが可能で、竹野屋旅館では、近いにもかかわらず神楽殿までバスの送迎をしてくれる。
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19時から始まった。
この日は特別祈祷の最終日で、参列者は150~200名ほど居たと思われる。
宮司、教統、権宮司と思われる3人の神主が祝詞し、参列者一人一人の願い事、住所、名前、年齢の順に奏上する。
申し込み順に読まれるとは思うのだが、いつ自分の番になるかは分からないので、緊張しながらも聞き耳を澄ました。
それが終わると、二人の巫女さんが”神楽”というより”巫女舞”を奉納。
その後、個々に玉串を受け取り、玉串奉奠(たまぐしほうでん)を行う。
最後に、宮司よりお言葉を賜って、祭壇に用意された個々の御守りを受け取り、御神酒を頂いて終了となる。
あまり好ましくなかろうと思って写真の撮影は遠慮していたのだが、後ろから時折シャッターを切る音がするので、ちょこっと数カットだけ撮ってみた。
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受け取る御守りは、個々の願い事によって違い、祈祷者の名が付けられている。
一応、”縁結び”を祈願したが、御守り本体は米ではないかと思われる。
恐れ多くて開封はしない。
御守りと一緒に、2個の御神餅(ごしんぺい)と、御神酒の杯を持ち帰った。
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11月29日の走行

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