11月30日、島根も3日目。
この日は、島根半島のドライブに少々重みを置いてみた。
しかし、神社の巡拝は忘れない。
竹野屋旅館を出発し、出雲大社と神楽殿の間にある一般道を走って日本海側に出てみた。
目的地は「猪目洞窟」である。
出雲大社と日御碕とを繋ぐ県道29号線の途中から宍道湖畔の「一畑」を結ぶ、県道23号線(斐川一畑大社線)に「猪目洞窟」がある。
しかし、今回は鷺峠を越えて県道23号線に合流してみた。
【猪目洞窟】
『出雲国風土記』に「夢にこの磯の窟の辺に至れば、必ず死ぬ。故、俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり」と書かれており、”夢で猪目洞窟を見た者は必ず死ぬ”とされている。
『記紀神話』の「黄泉比良坂」と似たような黄泉国の入り口の伝承があり、長らく謎だったが、昭和23年、漁船の船置き場として拡張工事中に堆積土を取り除いたときに偶然発見された。
洞窟からは、弥生時代から古墳時代にかけての人骨が13体、腕には貝和がはめられ、稲籾入りの須恵器などの副葬品が埋められ、当時の生活が分かる木器、貝類、獣骨、灰なども見つかった。
1700年前の女性の白骨が状態よく残っているらしく、発掘品は大社近くの「猪目洞窟遺物包含層出土品収蔵庫」で保管しているというが、一般公開しているという情報が見当たらない。
幅30m、奥行きは30mほどの洞窟で、現在は船着場になっているが、ひと気も無いし一人では洞窟の奥まで入る勇気は出なかった。
IMG_6194 posted by
(C)maiko
IMG_6196 posted by
(C)maiko
IMG_6204 posted by
(C)maiko
「猪目洞窟」から東に進み、県道250号(鍔淵寺線)で「
鍔淵寺」に寄ってみた。
映像には途中に工事区間があり、本来は12月25日まで車両通行止めなのだが、神在祭の期間に限り車両の通行が可能だったことは幸い。
出発前に
島根県土木部道路維持課のHPで確認していたのでルート設定できたが、観光と神議り(かみはかり)への配慮か。
【鍔淵寺】
島根県出雲市別所町148
「鍔淵寺」は、かの弁慶が京都「比叡山」に登る前に3年間修行した寺ともされていて、山陰地方でも屈指の紅葉スポットとして有名だという。
しかし、紅葉のピークも過ぎており、観光客はほとんど居なかった。
400円の駐車場代と拝観料の500円を払うが、これも”神”と”仏”の違いだ。
目前の葉の落ちたのを見て入るのは止めようかと思うも、一応入ってみることにしたのたが、まだ色付いたもみじの葉は残っていた。
オレンジ色の葉は枝に残っていたが、赤く色付いた葉の多くが落ちて絨毯のように敷き詰められ、血の海の様な状態だ。
これは、ピークの時ならさぞや見事な景観であったのだろうと想像できる。
ピーク時はは逆に人の多さに写真撮影には悩ましかったと思うが、ピークが過ぎ、雨上がりで葉が濡れた人も居ない静かな山寺も気持ちが良いものだ。
IMG_6343 posted by
(C)maiko
IMG_6239 posted by
(C)maiko
IMG_6302 posted by
(C)maiko
IMG_6290 posted by
(C)maiko
IMG_6316 posted by
(C)maiko
鍔淵寺から戻り、十六島湾沿いに海側を走る。
県道23号線の一畑近くの秋葉山付近で工事による車両通行止なので、出雲市坂浦町から焼山側の一般道を走り、北部広域農道で佐香神社(松尾神社)に向かった。
【佐香神社(松尾神社)】
島根県平田市小堺町108
御祭神
・
久斯神(くすのかみ)=少彦名命(すくなひこなのみこと)の別名
・
大山咋命
※天津彦彦火瓊瓊杵命、木花咲耶比売命、百八十神(ももやそがみ)を配祀
『出雲国風土記』楯縫郡の条に「佐香郷に川の中州で180柱もの神が集まって御厨を建てて酒を造り、180日もの間宴会をしたあと解散した」という説話と「佐加社」の記載、『延喜式神名帳』記載の「佐香神社」とされている。
明応9年(1500年)の棟札には「松尾明神」とあり、室町時代に京都の「松尾大社」から大山咋命を勧請されたことによるものと考えられる。
明治になって社名を「佐香神社」に戻された。
久斯神(少彦名命)は、酒造りの技術を広めた酒造の神ともされている。
室町時代から宮司自ら杜氏となって御神酒の醸造を行い、10月13日の例大祭はどぶろく祭りと呼ばれ、酒造関係者も参加する。
(現在は財務省から毎年1石以下までのどぶろく醸造の許可を得ている)
神社隣りに住み、到着時に鳥居前の掃き掃除をしていたご婦人から「スズメが落ち穂の米を集め、佐香川の水とで酒になった」などこの地の伝承や由来を話してくれた。
佐香神社参拝の後、北部広域農道で秋鹿神社に向う。
IMG_6352 posted by
(C)maiko
IMG_6355 posted by
(C)maiko
IMG_6358 posted by
(C)maiko
IMG_6371 posted by
(C)maiko
【秋鹿神社】
島根県松江市秋鹿2853
御祭神
・
秋鹿日女命(あいかひめのみこと)
※罔象女命、誉田別命を配祀
かつてこの地方にあった秋鹿(あいか)郡の名の由来にもなった秋鹿日女命を祀る。
『出雲国風土記』に記載され郡名の由来にもなった社ではあるが、風土記が編纂された頃にはすでに小社となっていたと思われる。
秋鹿日女命は、天勅を蒙って大己貴命の火傷を治療し、利養厚生の道を開いたことから祀られたとし、正体は、諸説多く、佐太御子大神の母神である蚶貝比売命(きさがひひめのみこと)ではないかと考えられている。
古事記:蚶貝比売命(きさがひひめのみこと)
出雲国風土記:枳佐加比売命(きさかひめのみこと)
IMG_6372 posted by
(C)maiko
IMG_6377 posted by
(C)maiko
IMG_6379 posted by
(C)maiko
IMG_6380 posted by
(C)maiko
秋鹿神社から一旦、宍道湖半の国道431号線に出てで松江方面へ。
松江市西浜佐陀町から佐太神社に向かう。
【佐太神社】
島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
御祭神
・
佐太御子大神・伊邪那岐命
・
伊邪那美命
・
速玉男命(はやたまのをのみこと)←「黄泉比良坂」での絶縁時に伊邪那岐命の唾から生まれた
・
事解男命(ことさかのをのみこと)←「黄泉比良坂」での絶縁時に伊邪那岐命が掃きはらって生まれた
・北殿に天照大神、南殿に建速須佐之男命
※現在、神社側では佐太御子大神は猿田毘古神と同一神としている。
『出雲国風土記』には「佐太御子社」と記載、『延喜式神名帳』には「佐陀神社」と記載され、明治に入って「佐太神社」に改称した。
『出雲国風土記』の記述にれば、垂仁54年(45年)に創建され養老元年に(717年)に再建、古くは現在の朝日山のふもとに鎮座していたという。
康元元年(1256年)の『社領注進状』によれば、当時は杵築大社(出雲大社)に匹敵するほどの敷地を有していたというが、太閤検地(豊臣秀吉が全国的に行った検地)によって大幅に減らされた。
大社造の本殿が三殿並立する姿は素晴らしい。
IMG_6391 posted by
(C)maiko
IMG_6407 posted by
(C)maiko
IMG_6404 posted by
(C)maiko
扇子形のおみくじがあり、境内の松の木はクリスマスツリーを思わせる。
引いてみたが”中吉”だった。
IMG_6397 posted by
(C)maiko
佐太神社から、更に県道37号線(松江鹿島美保関線)を進むと、島根原子力発電所を半周することになる。
走行中に肉眼ではちらほら見えるのだが、ビデオカメラの画角ではほとんど映っていなかった。
山に囲まれていて目にする機会が少なく、イマイチ存在認識が薄いような気がする。
IMG_6418 posted by
(C)maiko
IMG_6420 posted by
(C)maiko
県道37号線で加賀神社へ向かう。
【加賀神社】
島根県八束郡島根町大宇加賀一490
御祭神
・枳佐加比売命(きさかひめのみこと)
※伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大神、猿田毘古神を配祀
『延喜式神名帳』の「加賀神社」、『出雲国風土記』に記載されるる「加賀社」。
呼び名が色々な古文書で異なるが、その多くは「潜戸大明神」とされている。
古の時代には現在の観光地「加賀の潜戸」そのものが社とされ、『出雲国風土記』には「加賀神埼 即有窟 高一十丈許 周五百二歩許 東西北通」と記されている。
加賀神埼(かかのかんざき)は”潜戸鼻”、窟は”潜戸”であり、現在地に遷座した時代は不明。
枳佐加比売命が潜戸で佐太御子大神を生んだとされていることから、枳佐加比売命を祀っている。
『出雲国風土記』は枳佐加比売命だが、『古事記』では神産巣日命。
※神産巣日命(かみむすひのみこと)は、天地開闢の時に出現した造化の三神の一つで、他の二神は性別が無いのに対しこの神だけが女神とされている。
帰り際に、”パワースポット巡り”らしき10名程度の団体が訪れてきた。
IMG_6426 posted by
(C)maiko
IMG_6430 posted by
(C)maiko
IMG_6433 posted by
(C)maiko
IMG_6443 posted by
(C)maiko
旧”加賀の潜戸”。
普通は観光船で向かうが、陸路で向かうのは困難で車も途中までしか行かれない。
IMG_6450 posted by
(C)maiko
美保関町千酌から中海方面に出る。
中海の手角町に「手角ふるさと農道」という堤防道路がある。
中止された中海干拓事業で造られたようだが、今となっては役割が…。
ビデオカメラの画角では面白味に欠ける。
午後からは天候も崩れ、雨も降り出した。
まだ多少時間が残っていため、再度県道37号線で美穂関七類まで行き、国道431号線で松江市中心部に戻る。
この日の宿は、28日と同じ「松江ニューアーバンホテル」だ。
夕食にと向かったのは、28日の「松江 和らく」と同じく店舗に生簀を備える「
海鮮問屋 博多」。
ここでも”活松葉がに”ということで、予算を抑えて小ぶりのものを天ぷらとホイル焼きにしてみた。
単価が2,800円に調理料600なのだが、やはり”値段なり”のサイズだ。
内心、ちょっとガッカリした。
でも、天ぷらは美味しい。
IMG_6483 posted by
(C)maiko
IMG_6466 posted by
(C)maiko
IMG_6471 posted by
(C)maiko
IMG_6474 posted by
(C)maiko
この日、中海産の「ヨコ貝」が入荷していたので”酒蒸し”を注文してみた。
「ヨコ貝」はアサリより味が良いとされるが、漁獲量が少なく、東京でも出回らないレアな貝だ。
味は、アサリやジジミとはまた違うダシ味で良い味だった。
ちょっと小さめの個体だったが、旬の季節ではないから仕方がない。
食べられただけでも善しとしよう。
IMG_6475 posted by
(C)maiko
28日、29日と夜遅くまで動いていたが、この日の夜は比較的ゆっくりできた。
しかし、それでも寝たのは24時過ぎだった。
【11月30日の走行ルート】
※各画像と地図は拡大可