先月のことだったが、一応書いておこうと思う。
11月の初め、山陰での松葉がに漁解禁のニュースが流れていた。
「カニかぁ…、カニ刺しって喰ってみたいなぁ。」との思いと、常々、出雲大社にも行ってみたいと思っていたが、ちょうど旧暦の十月は全国から”八百萬の神様”が出雲地方に集まる神在り月でもある。
ということで”かに”、”出雲大社”、”神在月”をキーワードに、紅葉にはちょっと遅いがなんとか雪の便りが届く前にと島根県に行ってみることにした。
出発は11月27日の夜中。
翌28日の9時に中国自動車道の東城ICで降り、国道314号線で広島県側から奥出雲地方に入ることにした。
東城ICから約30分ほどで県境になるが、島根県に入るとすぐに見えるのが「奥出雲おろちループ」だ。
奥出雲おろちループは、区間長2,360m、区間標高差105mを7つの橋を含む二重ループで構成されている。
印象的なのは赤い(朱色?)橋梁の三井野大橋で、樹木と青い空には非常に目立つ。
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国道314号線に沿ってJR木次線が走るが、ループの近くには出雲坂根という駅がある。
出雲坂根駅には三段式スイッチバックがあり、出雲坂根駅と奥出雲おろちループを挟んだ三井野原駅(JR西日本の駅の中で最も標高が高い:標高727m)間の標高差は167mを昇り降りする。
走行中の木次線の列車を見てみたいものだが、いかんせん1日に3往復しかないのでそれは難しい。
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奥出雲おろちループを後に、向かうは立ち寄り温泉の「
佐伯温泉 長者の湯」。
2012年4月29日に新規オープンした新しい施設で、情報が少なく、場所的には『奥出雲多根自然博物館』の向かいに位置する。
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島根県仁多郡奥出雲町佐白223-5
TEL:0854-54-0203
泉質:アルカリ性単純温泉(PH9.8)
入浴料:300円
浴室内は天井が非常に高く開放感が高く、オープン後約半年ということで施設は非常にきれいなのだが、建屋の外観・内装が非常にシンプルというか…シンプル過ぎる。
しかし、ここの湯には驚かされた。
無色透明・無味で、PH9.8という高いアルカリ性のために非常にヌメリが多く、適温にもかかわらず体感温度以上に体が温まる感じで長湯ができなかった。
建屋は趣きに欠けるものの、その湯は非常に良い。
近隣には古くから『玉峰山荘の湯』があり、こちらもPH9.5ということで似ているのかもしれない。
今回の島根の目的の一つが、『古事記』や『日本書記』、『出雲国風土記』など日本神話にまつわる神社を巡ることだ。
特に初日は、意宇(おう)六社を巡拝する「六社参り」をしてみた。
島根県南東部に、かつて意宇郡(おうぐん)という郡が存在した。
郡名は『出雲国風土記』の記載から由来し、現在の松江市玉湯町から安来市にかけての地域であり、明治の町村制以降消滅。
その意宇郡に鎮座する下記の6社を「意宇六社」と称し、江戸時代以前より「六社参り」が行われていたという。
・熊野大社
・六所神社
・神魂神社
・揖夜神社
・八重垣神社
・眞名井神社
佐伯温泉から松江市中心部までの近い順に参拝をすることにした。
意宇六社と須我神社、黄泉比良坂の位置関係

(拡大可)
注:神名表記については『古事記』に準じた。
【須我神社】
島根県雲南市大東町須我260
御祭神
・
建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)
・
櫛名田比売命(くしなだひめのみこと:妻)
・
清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと:子)
※氏神の武御名方命(たけみなかたのみこと)も合祀
八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治した須佐之男命が、この地(須賀の地)で日本最初の宮殿を作り櫛名田比売命と住んだという。
また、“八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる 其の八重垣を”という和歌を須佐之男命が詠んだことから、「三十一文字和歌発祥の地」ということにもなっている。
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【熊野大社】
島根県松江市八雲町熊野2451
御祭神
・
伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなこ)
加夫呂伎熊野大神(かぶろぎくまのおおかみ)
櫛御気野命(くしみけぬのみこと)
※神祖熊野大神櫛御気野命とも称され、須佐之男命の別名
※櫛名田比売命(妻)、伊邪那美命(母)をそれぞれ社殿左右に配祀
『日本書記』では659年に出雲国造が斉明天皇の勅で巌神の宮を造営したとされ、『出雲国風土記』では「出雲国一宮」として熊野大社と杵築大社(出雲大社)が掲げられている。
『出雲国風土記』によれば、当時は熊野山(現、天狗山)に鎮座していたという。
須佐之男命が初めて鑽火したことから、火の発祥の神社ということで「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれる。
明治の神社制度改正により大社から神社に格下げられ、昭和53年の昭和戊午遷宮で大社に復活した経緯がある。
※鑽火(さんか)
火鑽杵(ひきりぎね)とよばれる棒状の木材を、火鑽臼(うす)というくぼみのつけられた木材に押し付けて回転させて摩擦熱により発火させる古代の発火法の一つ。
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駐車場の脇には「君が代」にある”さざれ石”が置いてある。
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【六所神社】
島根県松江市大草町496
御祭神
・
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
・
伊邪那美命(いざなみのみこと)
・
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・
月夜見命(つくよみのみこと)
・
須佐之男命
・
大己貴命(おほなむちのみこと)←大国主神(おおくにぬしかみ)の若い頃の名前
古文書などにもしばしば登場する出雲国の総社。
総社とは、国司が国内の神々を合わせ祭りや神社を総括する機能を持っている神社のこと。
鎮座地の北側に出雲国府の遺跡が発掘されていることから、元々は別な場所にあったのではないかとも考えられている。
しかし現在は周囲が住宅地となりつつある休耕地のど真ん中であり、参道も灯篭が2つだけと寂れている。
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【神魂(かもす)神社】
島根県松江市大庭町563
御祭神
・
伊邪那美命(いざなみのみこと)
※中世末期より、
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)も配祀
天之菩卑能命(あめのほひのみこと)が、この地に天降って創建したものと伝えられる。
国史や『出雲国風土記』などには記載されてはおらず、文献による初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍下文であることから、創建は平安時代中期以降であろうと考えられている。
本殿は現存する最古の大社造建造物であり、 現在の社殿は天正11年(1583年)の再建と考えられている。
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【八重垣神社】(旧称:佐久佐神社)
島根県松江市佐草町227
御祭神
・
建速須佐之男命
・
櫛名田比売命
※大己貴命、青幡佐久佐日古命(あおはたさくさひこ)を配祀
『延喜式神名帳』には「佐久佐神社」として記載されている。
須佐之男命が八俣遠呂智を退治する際に、八重垣を作って櫛名田比売命を隠した場所とされている。
八俣遠呂智を退治後、八重垣をとって八重垣の宮とし、夫婦生活を始めたことから縁結びの大祖神として崇められることになっているが、これは八雲神社の由緒書きによる伝承。
(八雲神社:牛頭天王・スサノオ(須佐之男命)を祭神とする祇園信仰の神社)
境内には椿の木が多く、地面から生えた2本木が地上で1本となる椿が3本あり、その内の一本は櫛名田比売命が植えたものといわれ、夫婦椿と呼ばれ一心同体の象徴として神聖視されている。
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本殿後方にある奥の院佐久佐女の森には、”縁占い”で有名な「鏡の池」がある。
匿われていた櫛名田比売命が、飲み水や鏡代わりに姿見をしたと伝えられ、別名「姿見の池」とも称される。
平日にもかかわらず多くの人(その多くが女性だが)が占っていた。
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【眞名井神社】
島根県松江市山代町84
御祭神
・
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
・
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
『出雲国風土記』に「眞名井社」、『延喜式神名帳』には「眞名井神社」と記載されており、江戸時代には「伊弉諾社」と呼ばれていた。
境内には、他、末那為神社、児守神社、宍道若宮社、山代神社、荒神社が合祀。
社殿は寛文元年(1660年)に火災で神宝や古文書など一切を焼失。
本殿は寛文二年(1662年)に再建されたもので、拝殿は昭和9年再建のもの。
平成12年の本殿改修工事では最新の技術が使用され、千木や鰹尾木の端にはチタン素材を使用している。
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【揖夜神社】
島根県松江市東出雲町揖屋2229
御祭神
・
伊邪那美命(いざなみのみこと)
※大己貴命、少彦名命、事代主命、武御名方命、経津主命を配神
『日本書紀』の斉明天皇5年の条項に「又、狗、死人の手臂を言屋社に噛み置けり。」と記された「言屋社(いふやのしろ)」、『出雲国風土記』の「伊布夜社」、『延喜式神名帳』の「揖屋神社」である。
『古事記』では、このあたりの場所を「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)という」と書かれており、『記紀神話』に登場する黄泉比良坂(よもつひらさか)の比定地近くにあることから、黄泉国(死者の国)の入り口だったのではとも考えられている。
祀られた伊邪那美命は別名で「黄泉津大神」とも称され、死者の国と縁が深いことが祀られる理由だ。
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【黄泉比良坂(よもつひらさか)】
「揖夜神社」と係わり、『記紀神話』に登場する”死者の国”との境を指す。
『古事記』には、日本神話における人間の住む日本の国土を指す「葦原中国(あしはらのなかつくに)」に対し、「黄泉国(よみのくに)」という死者の住む世界がある。
(神々の生まれ出る場所は、「高天原」と称する)
人間の世界と死者の世界を繋ぐ黄泉路を「黄泉比良坂」という。
黄泉国から逃げ還った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が千引(ちびき)の岩で出口を塞いだのがこの岩とされている。
場所は国道9号線の南側、「揖夜神社」と国道9号線を挟んだほぼ反対側に位置する。
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<黄泉比良坂の伝承>
大八洲の国土(淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州)を造っていた夫の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)は、各地に住まう神々を生み、伊邪那美命は最後に火の神を生んだことで女陰を焼かれて亡くなってしまう。
伊邪那岐命は、悲しみのあまり亡き伊邪那美命を追って黄泉国(死者の世界)を訪ねて還るよう懇願する。
伊邪那美命は、黄泉国の神に”還る許し”を請う間、夫には「私が呼ぶまで来てはいけません。」と約束をさせて身を隠した。
しかし、待てども返事が無いことにしびれをきらした伊邪那岐命は、約束を破って妻の姿を見つけてしまう。
が、それは体中に蛆がわき、ふた目と見られぬひどい姿の伊邪那美命であった。
驚いた伊邪那岐命は恐ろしくなって逃げ還ろうとしたが、醜悪な姿を見られ約束を破られた怒りから、妻と黄泉醜女(よもつしこめ)に追われることになる。
時間かせぎに自分の髪飾りや櫛を食物に変えて黄泉醜女に食べさせるも追いつかれ、黄泉比良坂の坂本にあった桃の木の実を投げた(3個だともいわれている)ことで黄泉醜女から逃げることができた。
その桃の実に、「葦原中国に暮らしている多くの人たちが苦しい目にあった時には助けてやってくれ」と言い、意富加牟豆美(おほかむづみ)と命名する。
最後は伊邪那美命に追われたが、伊邪那岐命は黄泉比良坂にあった大きな岩で道を塞いでしまった。
二人は夫婦喧嘩となり、「これから後あなたの国の人間を毎日千人ずつ殺す」と怒る伊邪那美命に対し、「それなら私は毎日千五百の産屋を建ててみせる」と言ったという。
※「比良坂神蹟保存会 黄泉比良坂物語」から要約。
『記紀神話』では、千引の岩を挟んで伊邪那岐命と伊邪那美命が離別の言葉を交わしたとされている。
伊邪那美命は不幸な神であったようにも受けとられるが、神とは人間の不幸を救う存在として崇められていることから、神話の意図は”夫婦仲良くすること”、”女性は出産という大役を持つもの”と考えられる。
産後が悪くて早くに他界したとされる伊邪那美命。
当時の女性の出産の危険度を顧みれば、女性の守り神として「揖夜神社」の御祭神として祀られたのであろう。
「黄泉比良坂 千引の岩」の場所へは、小さな看板と細い舗装された道があり、実は車で行くことも可能だ。
奥は多少広くはなっているが、駐車スペースというより車が転回できる程度である。
ちょっと、車で黄泉の国へ向かう気分にもなる。
ちなみに、2010年公開の映画「
瞬 またたき」のラストシーンに使われた。
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揖夜神社と黄泉比良坂

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黄泉比良坂での時間も頃合いとなり、出発前の天気予報では晴れを期待できなかったのだが夕日を拝めそうな天気だった。
予め日の入りの時刻を調べていたので、急ぎ穴道湖へ向い、夕日の撮影をしてみた。
最後の最後は雲に落ち込んでしまったが、宍道湖に浮かぶ嫁ヶ島をバックに沈む夕日を撮ることができた。
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28日の宿泊は松江市内の「
松江ニューアーバンホテル」。
大浴場の湯が、松江しんじ湖温泉を引いているのが特徴だ。
宍道湖が一望できる部屋でも本館なら、和室4.5畳で4,500円(朝食付)と安い。
部屋から宍道湖と松江の町並みの一部が見え、ロケーションを考慮しても安い。
チェックインした後、宍道湖の東、宍道湖と繋がる中海の真ん中に浮かぶ大根島に向かった。
大根島は、今では堤防道路により松江市内、鳥取県境港と陸路で結ばれている。
大根島に池泉回遊式日本庭園という「
由志園」があるのだが、紅葉が遅いせいか11月23日から12月8日まで夜間ライトアップをしているとのことで行ってみた。
紅葉のピークはやや過ぎていたものの、一応それなりの画は撮れたかと思う。
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フォトギャラ→
コチラ
由志園での撮影を終え、松江市内に戻って夕食にする。
せっかくのこの時期である、やはり”活松葉がに”を食してみたい。
できれば鳥取県境港市にある「
味処 美佐」でと考えていたが、4日前に確認したら予約がいっぱいで無理だった。
そこで、松江駅近くにある和食の「
和らく」へ行くことにした。
松江でも数少ない生簀のある店で、もちろん、松葉がにも生簀に入っている。
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”活松葉がに会席”ではなく、それより若干価格が抑えられた”活松葉がにコース”にしてみてた。
大きさは中程度で11,000円で、各調理で楽しめる。
初めて”かに刺し”を食してみたが美味かった。
”かに刺し”はもちろんだが、個人的には”かに天ぷら”が好みだ。
この活松葉がにの天ぷらは、身が絹のように滑らかで茹でた身とは全く異なる。
また、味、香り共に衣に包まれるので風味がある。
初日は、佐伯温泉以降休み無しで動いていただけに、この日の〆には良かったかもしれない。
店の接客態度も非常に良かった。
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