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2012年12月17日 イイね!

いざ、神話の国へ その3

11月30日、島根も3日目。
この日は、島根半島のドライブに少々重みを置いてみた。
しかし、神社の巡拝は忘れない。


竹野屋旅館を出発し、出雲大社と神楽殿の間にある一般道を走って日本海側に出てみた。
目的地は「猪目洞窟」である。
出雲大社と日御碕とを繋ぐ県道29号線の途中から宍道湖畔の「一畑」を結ぶ、県道23号線(斐川一畑大社線)に「猪目洞窟」がある。
しかし、今回は鷺峠を越えて県道23号線に合流してみた。




【猪目洞窟】
『出雲国風土記』に「夢にこの磯の窟の辺に至れば、必ず死ぬ。故、俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり」と書かれており、”夢で猪目洞窟を見た者は必ず死ぬ”とされている。
『記紀神話』の「黄泉比良坂」と似たような黄泉国の入り口の伝承があり、長らく謎だったが、昭和23年、漁船の船置き場として拡張工事中に堆積土を取り除いたときに偶然発見された。
洞窟からは、弥生時代から古墳時代にかけての人骨が13体、腕には貝和がはめられ、稲籾入りの須恵器などの副葬品が埋められ、当時の生活が分かる木器、貝類、獣骨、灰なども見つかった。
1700年前の女性の白骨が状態よく残っているらしく、発掘品は大社近くの「猪目洞窟遺物包含層出土品収蔵庫」で保管しているというが、一般公開しているという情報が見当たらない。
幅30m、奥行きは30mほどの洞窟で、現在は船着場になっているが、ひと気も無いし一人では洞窟の奥まで入る勇気は出なかった。
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「猪目洞窟」から東に進み、県道250号(鍔淵寺線)で「鍔淵寺」に寄ってみた。
映像には途中に工事区間があり、本来は12月25日まで車両通行止めなのだが、神在祭の期間に限り車両の通行が可能だったことは幸い。
出発前に島根県土木部道路維持課のHPで確認していたのでルート設定できたが、観光と神議り(かみはかり)への配慮か。




【鍔淵寺】
島根県出雲市別所町148
「鍔淵寺」は、かの弁慶が京都「比叡山」に登る前に3年間修行した寺ともされていて、山陰地方でも屈指の紅葉スポットとして有名だという。
しかし、紅葉のピークも過ぎており、観光客はほとんど居なかった。
400円の駐車場代と拝観料の500円を払うが、これも”神”と”仏”の違いだ。
目前の葉の落ちたのを見て入るのは止めようかと思うも、一応入ってみることにしたのたが、まだ色付いたもみじの葉は残っていた。
オレンジ色の葉は枝に残っていたが、赤く色付いた葉の多くが落ちて絨毯のように敷き詰められ、血の海の様な状態だ。
これは、ピークの時ならさぞや見事な景観であったのだろうと想像できる。
ピーク時はは逆に人の多さに写真撮影には悩ましかったと思うが、ピークが過ぎ、雨上がりで葉が濡れた人も居ない静かな山寺も気持ちが良いものだ。
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鍔淵寺から戻り、十六島湾沿いに海側を走る。




県道23号線の一畑近くの秋葉山付近で工事による車両通行止なので、出雲市坂浦町から焼山側の一般道を走り、北部広域農道で佐香神社(松尾神社)に向かった。




【佐香神社(松尾神社)】
島根県平田市小堺町108
御祭神
久斯神(くすのかみ)=少彦名命(すくなひこなのみこと)の別名
大山咋命
※天津彦彦火瓊瓊杵命、木花咲耶比売命、百八十神(ももやそがみ)を配祀
『出雲国風土記』楯縫郡の条に「佐香郷に川の中州で180柱もの神が集まって御厨を建てて酒を造り、180日もの間宴会をしたあと解散した」という説話と「佐加社」の記載、『延喜式神名帳』記載の「佐香神社」とされている。
明応9年(1500年)の棟札には「松尾明神」とあり、室町時代に京都の「松尾大社」から大山咋命を勧請されたことによるものと考えられる。
明治になって社名を「佐香神社」に戻された。
久斯神(少彦名命)は、酒造りの技術を広めた酒造の神ともされている。
室町時代から宮司自ら杜氏となって御神酒の醸造を行い、10月13日の例大祭はどぶろく祭りと呼ばれ、酒造関係者も参加する。
(現在は財務省から毎年1石以下までのどぶろく醸造の許可を得ている)
神社隣りに住み、到着時に鳥居前の掃き掃除をしていたご婦人から「スズメが落ち穂の米を集め、佐香川の水とで酒になった」などこの地の伝承や由来を話してくれた。
佐香神社参拝の後、北部広域農道で秋鹿神社に向う。
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【秋鹿神社】
島根県松江市秋鹿2853
御祭神
秋鹿日女命(あいかひめのみこと)
※罔象女命、誉田別命を配祀
かつてこの地方にあった秋鹿(あいか)郡の名の由来にもなった秋鹿日女命を祀る。
『出雲国風土記』に記載され郡名の由来にもなった社ではあるが、風土記が編纂された頃にはすでに小社となっていたと思われる。
秋鹿日女命は、天勅を蒙って大己貴命の火傷を治療し、利養厚生の道を開いたことから祀られたとし、正体は、諸説多く、佐太御子大神の母神である蚶貝比売命(きさがひひめのみこと)ではないかと考えられている。
古事記:蚶貝比売命(きさがひひめのみこと)
出雲国風土記:枳佐加比売命(きさかひめのみこと)
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秋鹿神社から一旦、宍道湖半の国道431号線に出てで松江方面へ。
松江市西浜佐陀町から佐太神社に向かう。




【佐太神社】
島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
御祭神
佐太御子大神・伊邪那岐命
伊邪那美命
速玉男命(はやたまのをのみこと)←「黄泉比良坂」での絶縁時に伊邪那岐命の唾から生まれた
事解男命(ことさかのをのみこと)←「黄泉比良坂」での絶縁時に伊邪那岐命が掃きはらって生まれた
・北殿に天照大神、南殿に建速須佐之男命
※現在、神社側では佐太御子大神は猿田毘古神と同一神としている。
『出雲国風土記』には「佐太御子社」と記載、『延喜式神名帳』には「佐陀神社」と記載され、明治に入って「佐太神社」に改称した。
『出雲国風土記』の記述にれば、垂仁54年(45年)に創建され養老元年に(717年)に再建、古くは現在の朝日山のふもとに鎮座していたという。
康元元年(1256年)の『社領注進状』によれば、当時は杵築大社(出雲大社)に匹敵するほどの敷地を有していたというが、太閤検地(豊臣秀吉が全国的に行った検地)によって大幅に減らされた。
大社造の本殿が三殿並立する姿は素晴らしい。
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扇子形のおみくじがあり、境内の松の木はクリスマスツリーを思わせる。
引いてみたが”中吉”だった。
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佐太神社から、更に県道37号線(松江鹿島美保関線)を進むと、島根原子力発電所を半周することになる。
走行中に肉眼ではちらほら見えるのだが、ビデオカメラの画角ではほとんど映っていなかった。
山に囲まれていて目にする機会が少なく、イマイチ存在認識が薄いような気がする。


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県道37号線で加賀神社へ向かう。




【加賀神社】
島根県八束郡島根町大宇加賀一490
御祭神
・枳佐加比売命(きさかひめのみこと)
※伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大神、猿田毘古神を配祀
『延喜式神名帳』の「加賀神社」、『出雲国風土記』に記載されるる「加賀社」。
呼び名が色々な古文書で異なるが、その多くは「潜戸大明神」とされている。
古の時代には現在の観光地「加賀の潜戸」そのものが社とされ、『出雲国風土記』には「加賀神埼 即有窟 高一十丈許 周五百二歩許 東西北通」と記されている。
加賀神埼(かかのかんざき)は”潜戸鼻”、窟は”潜戸”であり、現在地に遷座した時代は不明。
枳佐加比売命が潜戸で佐太御子大神を生んだとされていることから、枳佐加比売命を祀っている。
『出雲国風土記』は枳佐加比売命だが、『古事記』では神産巣日命。
※神産巣日命(かみむすひのみこと)は、天地開闢の時に出現した造化の三神の一つで、他の二神は性別が無いのに対しこの神だけが女神とされている。

帰り際に、”パワースポット巡り”らしき10名程度の団体が訪れてきた。
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旧”加賀の潜戸”。
普通は観光船で向かうが、陸路で向かうのは困難で車も途中までしか行かれない。
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美保関町千酌から中海方面に出る。




中海の手角町に「手角ふるさと農道」という堤防道路がある。
中止された中海干拓事業で造られたようだが、今となっては役割が…。
ビデオカメラの画角では面白味に欠ける。




午後からは天候も崩れ、雨も降り出した。
まだ多少時間が残っていため、再度県道37号線で美穂関七類まで行き、国道431号線で松江市中心部に戻る。
この日の宿は、28日と同じ「松江ニューアーバンホテル」だ。


夕食にと向かったのは、28日の「松江 和らく」と同じく店舗に生簀を備える「海鮮問屋 博多」。
ここでも”活松葉がに”ということで、予算を抑えて小ぶりのものを天ぷらとホイル焼きにしてみた。
単価が2,800円に調理料600なのだが、やはり”値段なり”のサイズだ。
内心、ちょっとガッカリした。
でも、天ぷらは美味しい。
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この日、中海産の「ヨコ貝」が入荷していたので”酒蒸し”を注文してみた。
「ヨコ貝」はアサリより味が良いとされるが、漁獲量が少なく、東京でも出回らないレアな貝だ。
味は、アサリやジジミとはまた違うダシ味で良い味だった。
ちょっと小さめの個体だったが、旬の季節ではないから仕方がない。
食べられただけでも善しとしよう。
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28日、29日と夜遅くまで動いていたが、この日の夜は比較的ゆっくりできた。
しかし、それでも寝たのは24時過ぎだった。


【11月30日の走行ルート】


※各画像と地図は拡大可
Posted at 2012/12/17 21:57:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域
2012年12月15日 イイね!

いざ、神話の国へ その2

11月29日、島根の2日目。
松江市中心部から山陰自動車道でいっきに出雲市へ向かう。
出雲ICで降り、神西湖を回って県道39号線で「須佐神社」へ向かった。
明け方に雨が降ったようで道は濡れていたが天候は回復してきている。


【須佐神社】
島根県出雲市佐田町須佐730
御祭神
建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)
櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)
足摩槌命(あしなづちのみこと)
手摩槌命(てなづちのみこと)(須佐家の祖神)
諸国を開拓した須佐之男命が最後の国造りになったのがこの地であり、自ら気に入ったことから、土地に唯一自らの名を付けた。
終焉の地でもあり、自らの御魂を鎮め置かれた霊跡でもある。
『延喜式神名帳』、『出雲国風土記』や古文書に「須佐社」と記載され、創建が神代と云われれ、古くは北の宮尾山に鎮座していたが、天長年間(824年~834年)に現在地に遷座。
”須佐神社七不思議”があり、本殿裏には樹齢1200年を超える老杉が立つ。
全国にある「須佐神社」の総本山であり、鳥居脇の社号は「須佐大宮」と刻まれている。
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新車の御祓いをしていた。
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「須佐神社」から国道184号線で出雲市方面へ抜ける。
途中、景勝地の立久恵峡があるが、紅葉は終わり天候もあまり良くなかったので立寄ることはしなかった。
山陰自動車道を過ぎ、出雲市駅の手前で斐伊川に掛かる南神立橋を通る「簸川南地区広域農道」(通称:出雲ロマン街道)で「斐川フレッシュパーク 出雲いりすの丘」を目指す。
国道9号線とほぼ平行する形の「簸川南地区広域農道」は、松江市宍道町から出雲市多伎町に至る全長約27kmの道路だ。
そこそこの交通量がある国道9号線を避けるにはもってこいだし、信号が無い分非常に早い。
「斐川フレッシュパーク 出雲いりすの丘」内にある立ち寄り温泉施設の「ひかわ美人の湯」に立寄った。
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泉質:ナトリウム・カルシム-硫酸塩・塩化物泉(硫酸イオンが多い)
入浴料:500円
ここは、日本三美人の湯と称される「湯の川温泉」の源泉を利用している。
「湯の川温泉」は、神代の昔、大国主命と恋に落ちた因幡国の八上姫が大国主命を追って出雲国に旅する途中に身を休め、いっそう美しくなったと云われる古湯。
云われはどうあれ、湯は特色を感じられず、どうもイマイチな気がする。
但し、ここの施設の露天風呂はなかなか趣きのある造りで好感が持てた。

神社巡拝は続く。


【立虫神社・万九千神社】
島根県出雲市斐川町併川字神立258
御祭神:立虫神社
五十猛命(いそたけるのみこと)=『古事記』の大屋毘古神(おほやびこのかみ)と同神
大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
抓津姫命(つまつひめのみこと)
御祭神:万九千神社
櫛御気奴命(くしみけぬのみこと)=須佐之男命
大穴牟遅命(おおなむぢのみこと)=大己貴命
少彦名命(すくなひこのみこと)
※その他、八百萬神々
二社が同一境内に祀られていて、どちらも『延喜式神名帳』、『出雲国風土記』に記載されている古社。
境内には多くの末社がある。
『延喜式神名帳』、『出雲国風土記』に記載される「神代社」(現在の「神代神社」)の境内社として「立虫神社」が鎮座していた。
洪水により「立虫神社」が神立大明神として独立し、現在の斐伊川中で神立橋の大津寄りにかつて在ったという島地に移動し、「神代神社」は雲市斐川町神庭に移動。
寛文年中、斐伊川の川床の変遷により島地消滅で万九千神社の境内へ遷座した。
「万九千神社」には拝殿のみで本殿はないが、拝殿後方に「神籬磐境」があり石柱が立っている。
ちなみに「万九千神社」は、神在月に全国から集まった神々が帰る際にこの社から発つ「神等去出(からさで)」の場所である。
ネット上にある数年前の写真では周囲が田んぼだったようだが、今では宅地化が進んで目前に新築民家が迫ってきている。
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【長浜神社】
島根県出雲市西園町上長浜4258
御祭神
八束水臣津野命(やつかみずおみつのみこと)
※布帝耳命(ふてみみのみこと)・淤美豆奴命(おみずぬのみこと)を配祀(両命は『古事記』にのみ登場)
”出雲”の名は、この地方の供え物の海藻の厳藻(いずも)が語源になったと云わている。
また、『出雲国風土記』には八束水臣津野命が出雲の国号命名者と記載されていることから、『出雲国風土記』記載の「出雲社」、『延喜式神名帳』記載の「出雲神社」に比定する説があるが定かではない。
社殿は延宝3年(1675年)に焼失し、松江藩主松平綱近によって造営された。
祭神が「国引き神話」の主人公であることから、綱引きの祖=スポーツ上達・不動産守護の神としても知られる。
お賽銭を入れたらセンサーが働いてメロディーが流れ、突然、太鼓が鳴り響いて何事かと焦る。
どうやら、それを合図に社務所の礼装の神主が賽銭のお礼代わりに太鼓を打つのにはちょっと驚いた。
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【厳藻(いづも)かけ】
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長浜神社の参拝の後、12時を過ぎてはいたが、昼食の前に「旧大社駅」に寄る。
天候は良くなかったが、幸いなことに観光客も少なく、写真を撮るのには都合が良かった。
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こぐぷーさんのこの記事の写真にリスペクトしてみた。
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少々遅くなったが、出雲大社周辺で昼食にする。
グルメ検索して出てくるのは有名な「出雲そば」と「ぜんざい」ばかりだが、その中に「大社焼きそば」なるものが出てきたので行ってみることに。
店は「旬の料理 きんぐ」という変わった名前だ。
老舗であり、昔は博多ラーメンの店だったらしく、現在はふぐ料理も可能な小料理屋である。
「大社焼きそば」は、”普通な塩焼きそば”であるが塩味は少なく、ソースが後がけなのである。
”標準的”なソースと”辛め”のソースの2種類があり、好みで選んでかける。
一般的なソース焼きそばとはまた違う味覚で、これはこれでアリだと思うし、昔ながらのラーメンも人気なようで地元でも好評なようだ。
たまたま駐車できたが、特に店の駐車場は無く、道も狭いので店まで車を乗りつけないほうがいいかもしれない。
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【日御碕神社】
島根県出雲市大社町日御碕455
御祭神:神ノ宮(上の宮)
建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)
御祭神:日沉宮(下の宮)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
『出雲国風土記』記載の美佐岐社、『延喜式神名帳』の御碕神社と記載されてい古社。
上の宮「神ノ宮」と下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」との上下二社からなり、両社を総称して「日御碕神社」と呼ぶ。
神ノ宮(上の宮)は、須佐之男命が熊成の峯に立って柏葉をとって神魂の鎮まる地を占ったところ、日御碕の隠ヶ丘に止まったことから天葺根命(あまのふきねのみこと)が社壇を設けて奉斎し、安寧天皇13年(紀元前535年)に勅命により現社地に遷座した。
これが『出雲国風土記』の「美佐伎社」。
日沉宮(下の宮)は、神代の昔、天葺根命が文島(現、経島)天照大御神の神託により大御神を祀ったのが始まりで、村上天皇の天暦2年(948年)に勅命により現社地に遷座したという。
「伊勢神宮」が「日の本の昼を守る」のに対し、「日御碕神社」は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社でもある。
社殿の造営は創建以来二十数回にも及び、現在の社殿は三代将軍徳川家光の命により松江藩主京極忠高が寛永14年(1637年)に着手し、松平直政が寛永21年(1644年)に完成させた。
かつては多くの仏教建築物が在ったが、明治の神仏分離によりほとんどが解体されている。
現在、神ノ宮は修復中である。
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宿のチェックイン前に、「稲佐の浜」に寄った。
『出雲国風土記』の冒頭に登場する「国引き神話」で知られる浜。
浜には一つの丸い島があり、社が経っている。
古くは遥か沖にあったらしいが、近年は砂浜が広がって歩いても行けるようになったという。
旧暦10月の神在月には全国の八百萬の神々を迎えする浜であり、旧暦の10月10日に神迎祭が行われる。
今年の旧暦10月10は新暦11月23日だった。
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【出雲大社】
御祭神
大国主大神
宿のチェックイン後に出向く。
多くを語る必要は無いと思うが、出雲では旧暦の10月は八百萬の神々が集まり、様々な縁結びの神議り(かみはかり=会議)をする”神在月”である。
神議りの期間は一週間で、実際の神議りは、大社から少し離れた「上の宮」とされている。
旧暦の10月11日~10月17日(2012年は11月24~30日)には、大社では神在祭他神事が行われ、大勢の人々が参拝に集まる。
「縁結大祭」の多過ぎる参列者のためのテントが出ていて撮影には邪魔だが、夕刻では思いのほか人が少なかった。
本来、神議りの期間中は神議りに支障がないよう静かに過ごす(工事や家の建築等も中断する)ものだが、人出が多過ぎると神議りの支障になるのではと勘繰ってしまう。
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270畳という大きさの神楽殿は他の社のものと比較すると異質な感じがする。
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参拝を終え、帰りには暗くなり始め参道に灯が燈る。
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【竹野屋旅館】
今宵の宿は、勢溜の鳥居(木製)前にある、創業130年の老舗「竹野屋旅館」だ。
実はこの旅館、ミュージシャン「竹内まりや」さんの実家である。
建屋の概観は非常に鄙びているが、内装は小奇麗で、敷居は高くなく格式ばったところも無く、接客もしっかりしていた。
それにしても、玄関からの50畳を超える畳のロビーは、いかにも”日本の…”という感じだ。
奥にあるフロントの横で、普通の土産品といっしょに”竹内まりやグッズ”を売っている。
ちなみに、グッズが買えるのは宿泊客か予約の食事をした人だけだ。
2枚目の写真の奥で写っている男性が、現在の主人で竹内まりやさんの兄である。
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やはり買わずにはいられず、Tシャツ、トレーナー等を買ってしまった。
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夕食は、派手ではないが丁寧な造りと味の料理だった。
ただ、この日は神在祭での「”夜神楽”特別祈祷」に参列するため、夕食の時間が17時からとちょっと早い。
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【”夜神楽”特別祈祷】
神在祭の期間中、旧暦10月11日~16日(2012は年11月24日~29日)の毎夜、出雲大社の神楽殿にて「”夜神楽”特別祈祷」が行われる。
せっかくなので祈祷参列をしてみた。
祈祷の申し込みは、神楽殿左の受付所で、始まる19時まで受け付けている。
初穂料は、縁結びや心願成就などの願い事一つにつき参千円。
周辺の旅館でも宿泊者には旅館での受付けが可能で、竹野屋旅館では、近いにもかかわらず神楽殿までバスの送迎をしてくれる。
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19時から始まった。
この日は特別祈祷の最終日で、参列者は150~200名ほど居たと思われる。
宮司、教統、権宮司と思われる3人の神主が祝詞し、参列者一人一人の願い事、住所、名前、年齢の順に奏上する。
申し込み順に読まれるとは思うのだが、いつ自分の番になるかは分からないので、緊張しながらも聞き耳を澄ました。
それが終わると、二人の巫女さんが”神楽”というより”巫女舞”を奉納。
その後、個々に玉串を受け取り、玉串奉奠(たまぐしほうでん)を行う。
最後に、宮司よりお言葉を賜って、祭壇に用意された個々の御守りを受け取り、御神酒を頂いて終了となる。
あまり好ましくなかろうと思って写真の撮影は遠慮していたのだが、後ろから時折シャッターを切る音がするので、ちょこっと数カットだけ撮ってみた。
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受け取る御守りは、個々の願い事によって違い、祈祷者の名が付けられている。
一応、”縁結び”を祈願したが、御守り本体は米ではないかと思われる。
恐れ多くて開封はしない。
御守りと一緒に、2個の御神餅(ごしんぺい)と、御神酒の杯を持ち帰った。
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11月29日の走行

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Posted at 2012/12/15 21:44:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域
2012年12月13日 イイね!

いざ、神話の国へ その1

先月のことだったが、一応書いておこうと思う。

11月の初め、山陰での松葉がに漁解禁のニュースが流れていた。
「カニかぁ…、カニ刺しって喰ってみたいなぁ。」との思いと、常々、出雲大社にも行ってみたいと思っていたが、ちょうど旧暦の十月は全国から”八百萬の神様”が出雲地方に集まる神在り月でもある。
ということで”かに”、”出雲大社”、”神在月”をキーワードに、紅葉にはちょっと遅いがなんとか雪の便りが届く前にと島根県に行ってみることにした。


出発は11月27日の夜中。
翌28日の9時に中国自動車道の東城ICで降り、国道314号線で広島県側から奥出雲地方に入ることにした。
東城ICから約30分ほどで県境になるが、島根県に入るとすぐに見えるのが「奥出雲おろちループ」だ。
奥出雲おろちループは、区間長2,360m、区間標高差105mを7つの橋を含む二重ループで構成されている。
印象的なのは赤い(朱色?)橋梁の三井野大橋で、樹木と青い空には非常に目立つ。
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国道314号線に沿ってJR木次線が走るが、ループの近くには出雲坂根という駅がある。
出雲坂根駅には三段式スイッチバックがあり、出雲坂根駅と奥出雲おろちループを挟んだ三井野原駅(JR西日本の駅の中で最も標高が高い:標高727m)間の標高差は167mを昇り降りする。
走行中の木次線の列車を見てみたいものだが、いかんせん1日に3往復しかないのでそれは難しい。
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奥出雲おろちループを後に、向かうは立ち寄り温泉の「佐伯温泉 長者の湯」。
2012年4月29日に新規オープンした新しい施設で、情報が少なく、場所的には『奥出雲多根自然博物館』の向かいに位置する。
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島根県仁多郡奥出雲町佐白223-5
TEL:0854-54-0203
泉質:アルカリ性単純温泉(PH9.8)
入浴料:300円
浴室内は天井が非常に高く開放感が高く、オープン後約半年ということで施設は非常にきれいなのだが、建屋の外観・内装が非常にシンプルというか…シンプル過ぎる。
しかし、ここの湯には驚かされた。
無色透明・無味で、PH9.8という高いアルカリ性のために非常にヌメリが多く、適温にもかかわらず体感温度以上に体が温まる感じで長湯ができなかった。
建屋は趣きに欠けるものの、その湯は非常に良い。
近隣には古くから『玉峰山荘の湯』があり、こちらもPH9.5ということで似ているのかもしれない。


今回の島根の目的の一つが、『古事記』や『日本書記』、『出雲国風土記』など日本神話にまつわる神社を巡ることだ。
特に初日は、意宇(おう)六社を巡拝する「六社参り」をしてみた。
島根県南東部に、かつて意宇郡(おうぐん)という郡が存在した。
郡名は『出雲国風土記』の記載から由来し、現在の松江市玉湯町から安来市にかけての地域であり、明治の町村制以降消滅。
その意宇郡に鎮座する下記の6社を「意宇六社」と称し、江戸時代以前より「六社参り」が行われていたという。
・熊野大社
・六所神社
・神魂神社
・揖夜神社
・八重垣神社
・眞名井神社
佐伯温泉から松江市中心部までの近い順に参拝をすることにした。

意宇六社と須我神社、黄泉比良坂の位置関係

(拡大可)

注:神名表記については『古事記』に準じた。


【須我神社】
島根県雲南市大東町須我260
御祭神
建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)
櫛名田比売命(くしなだひめのみこと:妻)
清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと:子)
※氏神の武御名方命(たけみなかたのみこと)も合祀
八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治した須佐之男命が、この地(須賀の地)で日本最初の宮殿を作り櫛名田比売命と住んだという。
また、“八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる 其の八重垣を”という和歌を須佐之男命が詠んだことから、「三十一文字和歌発祥の地」ということにもなっている。
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【熊野大社】
島根県松江市八雲町熊野2451
御祭神
伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなこ) 加夫呂伎熊野大神(かぶろぎくまのおおかみ) 櫛御気野命(くしみけぬのみこと)
※神祖熊野大神櫛御気野命とも称され、須佐之男命の別名
※櫛名田比売命(妻)、伊邪那美命(母)をそれぞれ社殿左右に配祀
『日本書記』では659年に出雲国造が斉明天皇の勅で巌神の宮を造営したとされ、『出雲国風土記』では「出雲国一宮」として熊野大社と杵築大社(出雲大社)が掲げられている。
『出雲国風土記』によれば、当時は熊野山(現、天狗山)に鎮座していたという。
須佐之男命が初めて鑽火したことから、火の発祥の神社ということで「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれる。
明治の神社制度改正により大社から神社に格下げられ、昭和53年の昭和戊午遷宮で大社に復活した経緯がある。
※鑽火(さんか)
火鑽杵(ひきりぎね)とよばれる棒状の木材を、火鑽臼(うす)というくぼみのつけられた木材に押し付けて回転させて摩擦熱により発火させる古代の発火法の一つ。
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駐車場の脇には「君が代」にある”さざれ石”が置いてある。
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【六所神社】
島根県松江市大草町496
御祭神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
月夜見命(つくよみのみこと)
須佐之男命
大己貴命(おほなむちのみこと)←大国主神(おおくにぬしかみ)の若い頃の名前
古文書などにもしばしば登場する出雲国の総社。
総社とは、国司が国内の神々を合わせ祭りや神社を総括する機能を持っている神社のこと。
鎮座地の北側に出雲国府の遺跡が発掘されていることから、元々は別な場所にあったのではないかとも考えられている。
しかし現在は周囲が住宅地となりつつある休耕地のど真ん中であり、参道も灯篭が2つだけと寂れている。
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【神魂(かもす)神社】
島根県松江市大庭町563
御祭神
伊邪那美命(いざなみのみこと)
※中世末期より、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)も配祀
天之菩卑能命(あめのほひのみこと)が、この地に天降って創建したものと伝えられる。
国史や『出雲国風土記』などには記載されてはおらず、文献による初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍下文であることから、創建は平安時代中期以降であろうと考えられている。
本殿は現存する最古の大社造建造物であり、 現在の社殿は天正11年(1583年)の再建と考えられている。
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【八重垣神社】(旧称:佐久佐神社)
島根県松江市佐草町227
御祭神
建速須佐之男命
櫛名田比売命
※大己貴命、青幡佐久佐日古命(あおはたさくさひこ)を配祀
『延喜式神名帳』には「佐久佐神社」として記載されている。
須佐之男命が八俣遠呂智を退治する際に、八重垣を作って櫛名田比売命を隠した場所とされている。
八俣遠呂智を退治後、八重垣をとって八重垣の宮とし、夫婦生活を始めたことから縁結びの大祖神として崇められることになっているが、これは八雲神社の由緒書きによる伝承。
(八雲神社:牛頭天王・スサノオ(須佐之男命)を祭神とする祇園信仰の神社)
境内には椿の木が多く、地面から生えた2本木が地上で1本となる椿が3本あり、その内の一本は櫛名田比売命が植えたものといわれ、夫婦椿と呼ばれ一心同体の象徴として神聖視されている。
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本殿後方にある奥の院佐久佐女の森には、”縁占い”で有名な「鏡の池」がある。
匿われていた櫛名田比売命が、飲み水や鏡代わりに姿見をしたと伝えられ、別名「姿見の池」とも称される。
平日にもかかわらず多くの人(その多くが女性だが)が占っていた。
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【眞名井神社】
島根県松江市山代町84
御祭神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
『出雲国風土記』に「眞名井社」、『延喜式神名帳』には「眞名井神社」と記載されており、江戸時代には「伊弉諾社」と呼ばれていた。
境内には、他、末那為神社、児守神社、宍道若宮社、山代神社、荒神社が合祀。
社殿は寛文元年(1660年)に火災で神宝や古文書など一切を焼失。
本殿は寛文二年(1662年)に再建されたもので、拝殿は昭和9年再建のもの。
平成12年の本殿改修工事では最新の技術が使用され、千木や鰹尾木の端にはチタン素材を使用している。
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【揖夜神社】
島根県松江市東出雲町揖屋2229
御祭神
伊邪那美命(いざなみのみこと)
※大己貴命、少彦名命、事代主命、武御名方命、経津主命を配神
『日本書紀』の斉明天皇5年の条項に「又、狗、死人の手臂を言屋社に噛み置けり。」と記された「言屋社(いふやのしろ)」、『出雲国風土記』の「伊布夜社」、『延喜式神名帳』の「揖屋神社」である。
『古事記』では、このあたりの場所を「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)という」と書かれており、『記紀神話』に登場する黄泉比良坂(よもつひらさか)の比定地近くにあることから、黄泉国(死者の国)の入り口だったのではとも考えられている。
祀られた伊邪那美命は別名で「黄泉津大神」とも称され、死者の国と縁が深いことが祀られる理由だ。
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【黄泉比良坂(よもつひらさか)】
「揖夜神社」と係わり、『記紀神話』に登場する”死者の国”との境を指す。
『古事記』には、日本神話における人間の住む日本の国土を指す「葦原中国(あしはらのなかつくに)」に対し、「黄泉国(よみのくに)」という死者の住む世界がある。
(神々の生まれ出る場所は、「高天原」と称する)
人間の世界と死者の世界を繋ぐ黄泉路を「黄泉比良坂」という。
黄泉国から逃げ還った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が千引(ちびき)の岩で出口を塞いだのがこの岩とされている。
場所は国道9号線の南側、「揖夜神社」と国道9号線を挟んだほぼ反対側に位置する。
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<黄泉比良坂の伝承>
大八洲の国土(淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州)を造っていた夫の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)は、各地に住まう神々を生み、伊邪那美命は最後に火の神を生んだことで女陰を焼かれて亡くなってしまう。
伊邪那岐命は、悲しみのあまり亡き伊邪那美命を追って黄泉国(死者の世界)を訪ねて還るよう懇願する。
伊邪那美命は、黄泉国の神に”還る許し”を請う間、夫には「私が呼ぶまで来てはいけません。」と約束をさせて身を隠した。
しかし、待てども返事が無いことにしびれをきらした伊邪那岐命は、約束を破って妻の姿を見つけてしまう。
が、それは体中に蛆がわき、ふた目と見られぬひどい姿の伊邪那美命であった。
驚いた伊邪那岐命は恐ろしくなって逃げ還ろうとしたが、醜悪な姿を見られ約束を破られた怒りから、妻と黄泉醜女(よもつしこめ)に追われることになる。
時間かせぎに自分の髪飾りや櫛を食物に変えて黄泉醜女に食べさせるも追いつかれ、黄泉比良坂の坂本にあった桃の木の実を投げた(3個だともいわれている)ことで黄泉醜女から逃げることができた。
その桃の実に、「葦原中国に暮らしている多くの人たちが苦しい目にあった時には助けてやってくれ」と言い、意富加牟豆美(おほかむづみ)と命名する。
最後は伊邪那美命に追われたが、伊邪那岐命は黄泉比良坂にあった大きな岩で道を塞いでしまった。
二人は夫婦喧嘩となり、「これから後あなたの国の人間を毎日千人ずつ殺す」と怒る伊邪那美命に対し、「それなら私は毎日千五百の産屋を建ててみせる」と言ったという。
※「比良坂神蹟保存会 黄泉比良坂物語」から要約。

『記紀神話』では、千引の岩を挟んで伊邪那岐命と伊邪那美命が離別の言葉を交わしたとされている。
伊邪那美命は不幸な神であったようにも受けとられるが、神とは人間の不幸を救う存在として崇められていることから、神話の意図は”夫婦仲良くすること”、”女性は出産という大役を持つもの”と考えられる。
産後が悪くて早くに他界したとされる伊邪那美命。
当時の女性の出産の危険度を顧みれば、女性の守り神として「揖夜神社」の御祭神として祀られたのであろう。

「黄泉比良坂 千引の岩」の場所へは、小さな看板と細い舗装された道があり、実は車で行くことも可能だ。
奥は多少広くはなっているが、駐車スペースというより車が転回できる程度である。
ちょっと、車で黄泉の国へ向かう気分にもなる。
ちなみに、2010年公開の映画「瞬 またたき」のラストシーンに使われた。
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揖夜神社と黄泉比良坂

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黄泉比良坂での時間も頃合いとなり、出発前の天気予報では晴れを期待できなかったのだが夕日を拝めそうな天気だった。
予め日の入りの時刻を調べていたので、急ぎ穴道湖へ向い、夕日の撮影をしてみた。
最後の最後は雲に落ち込んでしまったが、宍道湖に浮かぶ嫁ヶ島をバックに沈む夕日を撮ることができた。
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28日の宿泊は松江市内の「松江ニューアーバンホテル」。
大浴場の湯が、松江しんじ湖温泉を引いているのが特徴だ。
宍道湖が一望できる部屋でも本館なら、和室4.5畳で4,500円(朝食付)と安い。
部屋から宍道湖と松江の町並みの一部が見え、ロケーションを考慮しても安い。


チェックインした後、宍道湖の東、宍道湖と繋がる中海の真ん中に浮かぶ大根島に向かった。
大根島は、今では堤防道路により松江市内、鳥取県境港と陸路で結ばれている。
大根島に池泉回遊式日本庭園という「由志園」があるのだが、紅葉が遅いせいか11月23日から12月8日まで夜間ライトアップをしているとのことで行ってみた。
紅葉のピークはやや過ぎていたものの、一応それなりの画は撮れたかと思う。
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フォトギャラ→コチラ

由志園での撮影を終え、松江市内に戻って夕食にする。
せっかくのこの時期である、やはり”活松葉がに”を食してみたい。
できれば鳥取県境港市にある「味処 美佐」でと考えていたが、4日前に確認したら予約がいっぱいで無理だった。
そこで、松江駅近くにある和食の「和らく」へ行くことにした。
松江でも数少ない生簀のある店で、もちろん、松葉がにも生簀に入っている。
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”活松葉がに会席”ではなく、それより若干価格が抑えられた”活松葉がにコース”にしてみてた。
大きさは中程度で11,000円で、各調理で楽しめる。
初めて”かに刺し”を食してみたが美味かった。
”かに刺し”はもちろんだが、個人的には”かに天ぷら”が好みだ。
この活松葉がにの天ぷらは、身が絹のように滑らかで茹でた身とは全く異なる。
また、味、香り共に衣に包まれるので風味がある。
初日は、佐伯温泉以降休み無しで動いていただけに、この日の〆には良かったかもしれない。
店の接客態度も非常に良かった。
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Posted at 2012/12/13 20:13:32 | コメント(7) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域

プロフィール

「【加計学園問題の国会参考人招致】青山氏の本質をつく質疑はおろか、加戸前愛媛県知事の四国、ひいては日本を憂う熱い発言を一切無視するTV報道は、正に『報道しない自由』で国民を印象操作するマスゴミの典型である。」
何シテル?   07/11 14:06
2005年6月からALFA GT 3.2V6に乗り換えました。 日本全国徘徊中~。 目標、全都道府県制覇!!
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