
8月13日に、栃木県さくら市喜連川に行ってきました。
この地には、江戸時代に喜連川藩がありました。
「藩」というのは、簡単に言うと大名の領地のことです。
江戸時代の大名の定義は、幕府から1万石以上の領地を安堵された者です。
ところが、唯一喜連川藩だけは、これが当てはまりません。
喜連川藩の石高は4500石(後に加増されて5000石)なのです。
1万石に満たないのに「藩」とされ、さらに幕府からの諸役の免除、参勤交代もありません。
御所号の使用を許され、呼称も「殿」ではなく「御所様」です。
この時代に御所号を許される家柄は、他には関白クラスの公家だけで、武家では喜連川氏だけでした。
藩主の喜連川氏は、室町幕府の足利将軍家の代理として関東を治めた鎌倉公方家の末裔です。
鎌倉公方は、戦国期に下総国古河(現:茨城県古河市)に移座して古河公方になりました。
古河公方家は、内紛で分裂し、下総国小弓(現:千葉県千葉市中央区生実~千葉市緑区おゆみ野)に小弓公方という分家ができました。
最後の古河公方足利義氏には男子がなく、義氏の死後は、娘の氏姫が領地を守っていました。
小弓公方家の姫が豊臣秀吉の側室になった縁で、小弓公方家の足利国朝と古河公方家の氏姫との婚儀が行なわれ、古河と小弓の分裂が統一され、新たに下野国喜連川に領地を与えられました。
国朝が若死にしたため、国朝の弟の足利頼氏が氏姫の再婚相手となりました。
頼氏以降は代々「喜連川」を名字としましたが、幕末に「足利」に戻しました。
室町幕府第十五代将軍足利義昭の死後は、江戸幕府によって、鎌倉公方家の正当な末裔である喜連川氏が足利宗家を継承することになりました。
江戸幕府の現将軍家(徳川宗家)に対して、旧将軍家(足利宗家)の末裔ということで敬意を払われて特別扱いを受けた一族なのです。
喜連川に着いてから最初に向かった所は、喜連川藩主の菩提寺である慈雲山龍光寺という臨済宗建長寺派の寺院です。
9年ぶりに来訪しました。
室町幕府初代将軍足利尊氏開基と伝わっています。
室町幕府が全国に設置した安国寺の一つでした。
秀吉の軍勢によって焼失しましたが、喜連川頼氏が再建し、父の足利頼淳の法号を取って「龍光院」と改められ、昭和期に「龍光寺」と改められました。

山門。

本堂。

尊氏堂。
鎌倉の長寿寺にある尊氏の座像を模した像が安置されているとのこと。
長寿寺の座像は拝見したことがあります。
ここの座像も拝見してみたいものです。

喜連川足利氏歴代の墓所入り口。
他にも一般の人の墓域の中に、足利氏の庶流で、鎌倉公方~喜連川藩の家老職を務めた喜連川一色氏の墓所もあります。
この日は、お盆だったこともあり、墓参に訪れる人が結構いました。
人が写らないように、人が途切れるのを待ったりして撮影しました。

続いて行ったのは、喜連川陣屋跡です。
入り口には大きな門が建っています。
明治9年に焼失し、大手門のみ平成3年に再建されたとのこと。
現代風にリファインされていて、元の形とは少し違うのではないかと思います。

裏から見た方が、全景が見やすいです。

門を入って正面に、かつての喜連川城跡があります。
喜連川塩谷氏の居城として続き、塩谷氏の取り潰しによって喜連川足利氏の居城となりました。

お丸山公園入口のすぐわきに、さくら市喜連川庁舎があります。
江戸時代に入り太平の世になったので、喜連川頼氏によって城下が整備され、不便な山城を捨てて、ここに喜連川陣屋が建てられて藩庁となりました。
歴史関係の説明文がかなり多くなってしまいましたが、自分の車の写った写真をさりげなく載せて、ドライブ日記であることをアピール(笑)

この日は、曇ったり晴れたりを繰り返していました。
さくら市喜連川庁舎の駐車場に停めて、外に出たら、微妙に青空が見えてきました。
喜連川氏は、領地は5千石でも、10万石の格式が与えられていました。
参勤交代や諸役が免除されていても、5千石で10万石の体裁を保つのは大変だったようで、藩の財政はいつも火の車だったようです。
代々の藩主は、質素倹約を奨励していたそうです。
喜連川は宿場町として栄えており、大名が参勤交代で宿場を利用することがありました。
喜連川宿を利用する大名達は、ただ泊まるだけでなく、旧将軍家の家柄である喜連川氏に敬意を払いお土産も用意していたそうです。
特に大身の仙台藩伊達氏が立ち寄ると、藩の財政は潤ったと言われています。
伊達氏は、御所様だけでなく、御所様の家臣団にまでお土産を用意していたそうです。
喜連川氏は、参勤交代が免除されているので、将軍への年頭挨拶等の特別な用事でもない限りは江戸に行くことはありませんでした。
ある時、仙台藩が参勤交代時に喜連川宿を通らずに江戸に行くことがあったそうです。
その時、御所様は、用もないのに江戸まで行って、伊達公に嫌味を言ったという逸話があります。
さすがにそんなことは本当にはなかったと思いますが、おもしろい話しです(^_^;)

さくら市喜連川庁舎に隣接して、
喜連川神社が鎮座しています。

永禄3年(1563年)に、源(塩谷)惟朝によって創建されました。
喜連川塩谷氏代々に崇敬され、塩谷氏の後にこの地を支配した喜連川足利氏にも篤く保護されました。

喜連川神社の脇参道沿いの家に綺麗な花が咲いていました。

ピンクは百日紅だと思いますが、オレンジの花が気になります。

この花は、何と言う名前なのでしょうか?