8月6日に、千葉県夷隅郡大多喜町大多喜にある「千葉県立中央博物館大多喜城分館」に行ってきました。
大多喜城は、かつては「小田喜城」と書きました。
室町時代に上総武田氏(甲斐武田氏の同族)の一族の真里谷信清によって築かれたのが始まりです。
豊臣秀吉による国替えで関東に入った徳川家康は、家臣の本多忠勝を小田喜城に入れました。
安房里見氏への抑えとして、忠勝が小田喜城を大改築し「大多喜城」になったと考えられています。
現在の天守は、昭和50年(1975年)に、江戸時代の図面を参考にして建てられた物です。
中は、大多喜の歴史関係の博物館になっています。
本多忠勝は「本多平八郎忠勝」と呼ぶこともあります。
武士は、「仮名(けみょう)」と呼ばれる通り名を持っていました。
この通り名の部分が、本多忠勝の場合は「平八郎」です。
千葉県と神奈川県の一部の地域には、ゴキブリのことを「へいはち」と呼ぶ方言があります。
この「へいはち」は、「本多平八郎忠勝」から来ているという説があります。
忠勝は、戦で一度も怪我をしたことがなかったと言われています。
つまり「殺そうとしても殺せず、しぶとい」ということです。
ゴキブリも、殺そうとしても素早くてなかなか殺せません。
やはり「しぶとい」ということになります。
そのしぶとさを忠勝の伝説と重ねて「へいはち」と呼んだのではないか?と考えられています。
Posted at 2017/10/03 23:36:18 | |
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