2006年11月28日
土日にかけて、大阪に行って来ました。
私は東京生まれではあるんですが、1歳になる前に父親の仕事の都合で大阪は守口市に転居。
以来高校を卒業するまで守口市にて暮らしたわけです。
転居後友人の結婚式や仕事の出張などで、何度も大阪には行っていたんだけど、自分が育った家の近辺には一度も行ったことが無かった…
今回高校の同級会で大阪(会場は京都でしたが…)に行くことになり、この機会を逃すといつになるか怪しかったので、自分の育った土地を改めて歩いてみた…
守口市の中でも一度転居しているのだけど、最初の家の記憶は微かに残っているだけで、殆どないといっても良いくらい。
って言うか場所がもう判らないのでここは2番目の家に限定して歩くことに…
家は駅から徒歩2分ほどの所に今もありました。うちの後に越して来られた方が玄関を改装されたようですが、ほぼ当時のまま残っていましたよ。
嬉しい様な、なんかほっとした…
うちは路地(幅は3m無い)のいちばんに奥にあって、その先は徒歩でないと行けない細い路地に繋がっていたんですが、まだその細い路地も健在だった。
小学校、中学校に行くとき毎日この路地を通って行ったんだよな…
因みに小学校と中学校は小学校の校舎を境にして隣り合わせなので9年間同じ道を通った訳です。
住んでいた家の前でボーっとしていたら、お向かいのお宅の玄関がガラっと開いた。
○○のおばちゃんだ!
こちらは分かったんだが、おばちゃんは
「なんやこの人…なんでこんなとこに立っとるん?」
というような目で私を見る。
こちらから話し掛けなければ、気まずいままだし警察にでも通報されたら(笑)困るので、名乗ってみた。
「突然ですいませんが、以前お向かいに住んでいた◎◎の長男の××です」
一瞬間を置いて
「いやぁ!××チャン(チャン付けである…)」
「大きなったわね!分からんかったわぁ!」
転居当時私は18歳であるから、「大きなったわね」はないと思うのだが、おばちゃんの記憶の中には自分の息子と路地の中を駆け巡っていた私しか思い浮かばなかったんだろう。
おじちゃんも顔を出してくれて暫し談笑。
ご近所の色んな情報を教えてもらったが、年月とは悲しいもので寂しく辛いお話ばかりであった…
しょうがない、30年以上の年月が流れているわけだから…と思っても割り切れない思いが…
全くお世話になりっぱなしで、何のお礼も出来ていないのに…
小学校、中学校の仲が良かった近所の奴らの家も、殆どの表札が変わっている。
結局、おばちゃんだけしか知っている人はいなかった…
(実は少し離れたところにある初恋の女の子の家はまだあった)
子供の頃に通った通学路を歩いてみた。
こんな狭い道路だったんだぁ…
あれ?ここは工場だったのにマンションになってる…
おれ、ここん家の同級生に苛められてなんだよなぁ…
色んな事が次々に思い出されてくる。
今まで一度も思い出したことも無いのに、記憶の鎖が次々と繋がっていくようだ。
記憶の引き出しが全て引き出されたような気がした…
小学校。
私が入学した時、母親と一緒に写真を撮っていただいた花壇がそのままで残っていた。
掃除時間に蜂に刺された池、大きなケヤキの木もそのままあった。
私が6年生の3学期に完成した新校舎は大分くたびれてしまっていたが、逆に1年生からずっと使っていた校舎はまだ健在だった。
中学校。
わたしが在学中は木造だった校舎は全て建て替えられていた。
一階の廊下から二階の廊下の天井が見えた場所が有った位ボロだったのでしようが無いか…
でも街中の学校で狭かったとはいえ、こんなに狭かったのかな?
今住んでいる辺り(田舎である…)の中学の校庭の4分の1あるかなぁ…
その後は…
次回に書ければいいな!
Posted at 2006/11/28 20:44:05 | |
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