薬と健康の週間を前にして、薬師堂の御開帳に行って来ました。
上矢部薬師堂の御開帳は、33年に1度の御開帳です。

上矢部薬師堂は、境川の水を汲みに行く人々の道、上矢部街道の脇にあります。
後ろに見えるのは、六地蔵。
写真では見えませんが、六地蔵の後ろに沙彌のお墓があります。
沙彌とは、若い僧侶のことで、当初は若い住職が存在していたのかもしれません。
(天明七年1787年に推定される墓碑)
野部と書いて”やべ”と読みますが、今では矢部と書き、野部義兼との関わりが伝わっています。
関東大震災の被害にあい、茅葺きは改められました。
カラフルな布は、御本尊と繋がっているので、握ってご利益を得ます。
私は、病気になり薬師如来に興味を持ち始めましたが、みんカラの始まりと終わりの時期に薬師如来の御開帳が重なるとは、縁を感じます。
御本尊の開帳も次の世代に伝わるのか解らないので、今年は市の文化財保護課が関係しての開催です。
大盤振る舞いなのか、写真を撮る人のリクエストに答えて、脇侍の立像を動かしていました。
どなたか知りませんが、そんなことして良いのかと思っていると、やはり気になった女性の方が口を挟んできましたw
脇侍の飾りがグラグラしたり、蝋燭が斜めなってしまったり、こっちもヒヤヒヤです!
また、金属の小さい鉦を木槌で叩いてお参りするのですが、その鉦が逆さまになっていて、足が上向きのお皿の様に置いてありましたw
これも、上記の女性が直していました。
近くにいた若い男性(先程の蝋燭を直した方です)が、「昨日からこうなっていました」と苦笑い😅
上記の女性に「鎌倉とか行かないの?見たことないの?」と言われたのを聞いてグダグダだなと思いつつあとにしました。
別角度から。
この薬師堂は、矢部氏の館の裏鬼門に当たる場所だそうで、続いて板碑を見に移動。
バス通りを挟んで、米軍の基地の方へ行きます。
この社の中に、板碑が数基あります。真ん中の一番大きなものは、うっすら濃くなっているので判りますね。
社自体が、160cm位なので、覗き込まないと小さな方は見られません。
帰り道にちょっと別時代のものを見に・・・
この辺りは、元々陸軍の土地が多く、米軍の基地があるのも納得です。
今では、麻布大学の敷地や工場地帯、基地の中を見られないようにかゴルフ場などがあります。
スポーツの日のお散歩でした。
Posted at 2024/10/14 15:55:05 | |
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横浜線沿線散歩 | 日記