仕事が早く終わったので、八王子に行ってきました。
元八王子八幡神社に行こうと思い、カーナビをセットしようとしたら、八幡神社としか出ていません。
あぁ、今は駅周辺が八王子というイメージだが、元八王子と言うことは、本家の八王子はこっちなんだから八幡神社と言えば、こちらの方を指すのかと思いました。
で、ナビに従って行くと、なにやら遠回りぎみの案内。
そうしたら、ここに出ました。
史跡武蔵太郎安国の刀鍛冶の碑。まぁ、後で見に来るとしてそのままナビに従って行ったら、中央道にまたがる橋の袂でナビ終了。
どうやら開発で高速道路がぶち抜いた模様。来た道を戻り宮司宅の前に停めてお散歩開始。
一度本殿を見てお参りしたら、参拝者用の駐車場を発見したので、そこに停め直して参道などを歩いてみました。
以後の写真は、参道から順に並べ替えて見ます。
八幡宮参道
当社は、康平六年(1063年)源頼義朝臣、鎌倉由比郷に石清水八幡宮の神を奉祀するに始まる。
後、治承四年(1180年)源頼朝公、大庭景義に命じてこれを小林郷松ヶ丘に遷す。今、ここを鶴岡八幡宮と称す。
建久二年(1191年)宮殿の造営全く竣へ、遷座の際古神体を頼朝公家臣、梶原平三景時に賜ふ。
この地は、八王子発祥の地。景時の所領ゆえ、同年六月此処に勧進奉祀す。
景時が勧進時に植えたと伝わる神木の梶原杉の切り株が、参道にある。
昭和三年に、都の天然記念物に指定された。当社御神木として尊崇保存された樹齢800年の杉だが、昭和の40年代に伐採されてしまった。
寛正・文明の頃、傷んだ社殿の造営修復す。元亀三年(1572年)北条氏照公、当地に八王子城を築き居住する間社領若干を賜る。
こちらの木は近世に植えられたものだろうか?
天正十九年(1591年)将軍徳川家康公により社領十石(朱印)を賜り、後明治六年には郷社に列せられる。
なお、景時勧進時の棟札もありしも、戦災の折残念ながらも焼失す。
しめ縄が下にある彫刻は、山には珍しく亀が彫刻されている。
近所の家の表札も、鎌倉を思い出させる名がある。
ちなみに宮司は、梶原さんだw
最後に、最初にナビで案内されて出くわした刀鍛冶の碑の足元にある、漢文の碑。
神社周辺は、桝形道路を思わせる道が残っていた。
スマホで梶原城趾の地点まで行ってみたが、神社の裏山が途切れ高速道路になる境の辺りのただの林で、道に見えたのは間伐の際に通っただけのものの様だった。
城址地点の辺りは、クヌギやコナラが生えていたので、スズメバチに遭遇しなくて済んでよかった。
Posted at 2022/08/24 22:04:10 | |
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中央線が好きだ。 | 日記