
武相卯年観音霊場 第二十八番 第二十九番
施弥山 慈眼院 福生寺
真言宗智山派です。
天野孫兵衛清彦が開基。玄良法師が開山となり、天福元年(1233年)に創建
江戸期には、寺領十二石二斗の御朱印状を拝領したといいます。
町田街道沿いに「こどもの広場」があり、少年野球やドッチボールとかできそうな感じで、おそらく災害時などはテントを張れそうなお寺の前の広場的な感じの雰囲気です。
そのため、門とか寺名の書いてある石柱などは無かったようです。
本堂
観音堂
珍しいのは、前後に二体の観音様が奉られていること。
前のものも数十センチ位ありそうですが、後ろのものは人の背丈位はありそうです。
どちらが何番かは、聞くことができませんでした。
町田市史によると、所在地の字片所は、畠山重忠の陣所跡と云われがあるそうです。
また、相模原市淵野辺の鈴木孫兵衛の家から出た古文書によると、
相州東郡柚木領小山田郷小山村~云々とあるが、東郡は、高座郡のことで相模国だが、柚木、小山田は武蔵国である。
小山は、おやまと呼び境川の両岸に広がる村である。
よく解らんw
古文書には、[虫聲]蝉山とあるので、山号はせみと読むのであろう。
なんでも蝉の鳴き声が盛んな?頃、山伏が現れたので、この地の人のご先祖のためにお寺祈願を説いて、鎌倉に願い出て、執権北条泰時公社寺奉行に言命、年号から一字をもらったらしい。
知らんけど。
検索するとスライドショーがでます。
Posted at 2023/05/19 21:03:05 | |
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観世音菩薩霊場巡礼 | 日記