• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

川瀞庵の庵主のブログ一覧

2023年05月09日 イイね!

武田家由来のお寺

武田家由来のお寺
武相卯年観音霊場 第二十六番 大瀧山 

長徳寺 曹洞宗です。

武田家家臣の鳳山良長(永禄3年1560年没)が、開基となり開いたお寺です。

観音様は石造りで、正直に言ってそこいら辺の墓地にありそうな単純な造りで、え?これ?
というような代物。

鳳山良長が彫ったというのなら、ありがたみはあるが・・・

↑武田菱が、入り口のガラスに入っている

相模川沿いの崖下に創建。功雲寺九世州山洞益(慶長4年1599年没)が開山したとのことです。

鳳山良長は、武田軍が小田原に攻め込んだ戦時、武田軍撤退の折に小田原北条氏との三増峠の合戦(戦国時代の山岳戦で有名)で亡くなった将兵を弔うために、三増峠を仰ぎ見る相模川の対岸に創建したが、崖崩れや檀家の招きで今の場所に移ったとされている。

功雲寺は、津久井城主内藤家の菩提寺である。(功雲寺は、津久井観音霊場には入っていない)

※津久井城の近くにある根本観音堂(日應寺廃寺)は、津久井観音霊場に入っているのでここいら辺りで微妙な接点がある
alt


alt
鐘楼 奥には鯉のぼりが立っている


相模川沿いの崖下の寺域は今もあるが、そこには人が住んでおらず、またその地域も数件の家があるだけ。

噂によると、近くの河原はTVの撮影に使われているとか。

相模川沿いの崖下の寺域は、過去のブログにあげてあります。











Posted at 2023/05/09 21:08:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 観世音菩薩霊場巡礼 | 日記
2023年05月08日 イイね!

大戸観音堂

大戸観音堂武相卯年観音霊場 第二十四番 祐照庵

臨済宗妙心寺派 です。

祐照庵は、大戸観音堂を護る別当として慶長元年(1597年)に創建、明治初年に焼失し、八王子市散田太子堂の堂宇を移築したといいます。

大戸とは、鎌倉街道山之道に入るための国境の地にある大木戸のことをいうが、木の板の言われが書いてあるものは、字がかすれて見えなくなってしまっている。



alt

ここも山門と鐘楼が一緒になっている。

alt



alt


alt

鎌倉街道 山之道 の相州口であり、現在の町田街道は大戸街道と呼ばれていた。

鶴間から分岐して秩父、高崎へ向かうとあるが、鶴間は、武相観音霊場1番の観音寺がある所。





Posted at 2023/05/08 20:37:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 観世音菩薩霊場巡礼 | 日記
2023年05月07日 イイね!

武田家由来のお寺

武田家由来のお寺武相卯年観音霊場 第十四番 高雲山

永泉寺 曹洞宗です。

武田信玄の叔父が、党族争いが嫌になって武州八王子鑓水に逃れて来たのが始まり。

相模原北部や八王子は、武田家由来の話が多く残っていて、後の八王子千人同心に繋がります。
alt


alt


alt

朱色に塗られた鐘楼 珍しいですよね?

alt


alt


Posted at 2023/05/07 08:45:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 観世音菩薩霊場巡礼 | 日記
2023年05月06日 イイね!

上柚木観音堂

上柚木観音堂武相卯年観音霊場 第三十五番 上柚木観音堂です。

当堂の本尊は、準提観音菩薩であり、創建年代は不明である。

文化年代 由木永林寺の住職知海和尚のすすめで、伊藤氏が願主となり並木原に堂を再建した。

その当寺の観音様は石造りの準観音であったが、明治の初めに火災にあい破損したため、新たに木製の準提観音菩薩を造り、並木原より現在の神明に堂を移し再建した。

明治の中頃までは、永林寺の役僧が交代にて堂宇を管理していたが、現在この堂は上柚木地区の持ちとなり、神明講中で管理している。

春秋二回観音講が開かれており地域の人々から信仰を守られている。
alt

今は神明町会集会所に安置されており、古いものは、この手水鉢位

ちょうど、神社の参道脇にあるので、駐車スペースもこんなに狭い。


Posted at 2023/05/06 08:46:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 観世音菩薩霊場巡礼 | 日記
2023年05月05日 イイね!

龍伝説のお寺

龍伝説のお寺武相卯年観音霊場 第四十八番 淵源山

龍像寺 曹洞宗です。

写真は観音堂の内扉の装飾
(お寺の写真は以前ブログにあげたので割愛)

淵源山龍像寺は、曆応年間(1338~1341年)淵辺伊賀守によって開創され、天台沙門存光師によって建立された当寺は、その後巨海才大和尚により再興され、天台宗より曹洞宗に移りました。

その歴史によると、村の東に龍池と呼ばれる池がありました。

向こう岸が見えないほど大きく、まわりは百メートルを越え、武蔵、相模の二国にまたがっていた。

龍池には大蛇が棲んでいていまして、しばしば人畜に害をおよぼし、村人たちは恐怖のあまり家を捨てて、他村へ離散するにいたりました。

時の地頭淵辺判官伊賀守義博は、幕府の許可を得、家来数十人を引き連れ、沼のほとりに参りました。

たちまち大風吹き起き、天地はためき暗く、見るも恐ろしい有様となり、その時龍池の真ん中にむくむくと水が湧き起こり、判官はそれをめがけて二本のかぶら矢を放ち、矢は大蛇に命中、蛇体は三段となり飛び散りました。

同寺に天地は晴明となり、判官たちはただちに龍池を埋め、そして三段に散りし、蛇体はおのおのの場所に葬り、天台宗沙門存光師を招いて、龍頭、龍像、龍尾の三ケ寺を建立しました。

しかしその後三寺とも荒廃に帰してしまい、巨海才大和尚は、このことをいたたましく思い、諸方に托鉢して浄財を募り、弘治二年(1556年)龍像の一寺を再興して、曹洞正宗伝法開山となりました。

alt

観音堂 内扉の下側の彫刻が、上の写真

ここに出てくる淵辺氏は、南北朝時代の武将です。

今回の武相観音霊場は、国境地帯にあるので、時代の変革期には必ず荒廃をくりかえします。

この国境の境川は蛇行がすごく、最近でも河川改修で神奈川と東京の県境が度々交換される地です。

カーナビがでた頃は、道を真っ直ぐ走っているのに、東京に入ったり神奈川に入ったりを繰り返す案内が出て、みんカラ内でも話題になった所です。

今も蛇行した旧河川のあとがわかります。

気になる人は木曽西かわせみ公園辺りで検索してみて下さい。

Posted at 2023/05/05 09:32:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 観世音菩薩霊場巡礼 | 日記

プロフィール

「光岡のM55がかっこいいと思う」
何シテル?   11/29 20:10
74式戦車と同じ年です 相模川の瀞庵の庵主で、日本文化の継承をしています 三増峠(信玄道) 戦車道路 行幸道路 大山街道等をうろついて...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/7 >>

  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

リンク・クリップ

徳行悟宗庵主 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2011/06/19 07:01:05
 
日本メガネ党 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2009/07/09 07:53:29
 

愛車一覧

ダイハツ ミライース 赤いこりん星w (ダイハツ ミライース)
ミラはジーノに継いで2台目です。 SAが付いていて、安心感が持てます。
スバル インプレッサ スポーツ カワトロ・バジーナ機 (スバル インプレッサ スポーツ)
高機動性偵察機
三菱 その他 士魂 (三菱 その他)
ビジュアル系エアソルジャーでSAMURAI DRIVE
スズキ MRワゴン スズキ MRワゴン
妹と義弟の車です。 後部座席は、たたんで犬が乗れるようにしています。 新古車です。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation