
古来、人間は行動の表現を人の体に合わせて表現してきた。
手を使う表現に、「(穴から)かきだす」「(水など)すくう」とあるように、
ほじるという表現がある。
しかし、手ではほじるという表現は合致しないように感じる。
それは、手よりも小さな穴からかきだすことをほじるといったのであって、
手よりも小さな穴に手は入れられないからだ。
では、ほじるという行動はどの体の部分で表現するのであろうか。
それは、指である。
指の入る穴以下なら、ほじるという言葉が当てはまるのである。箸であろうと爪楊枝であろうとほじるという言葉が当てはまる。
では、指の入る穴のとはどこであろうか?
それは、鼻である。
古来から人は、鼻をほじっていたのである。
それを裏付ける人物が記紀に出てくる。
つまり、穴穂部皇子である。
穂部とはなんであろうか?長年学者が研究をしてきたが、最近の研究でこれは「ほじ」と読むことが判明した。
つまり穴ほじの皇子である。
穴ほじの皇子の穴とは「鼻の穴」であり、穴穂部皇子=鼻穂部皇子なのである。
参写真
それでは、同様に穴穂部間人なる人物も登場するのだが、これは穴穂部皇子と同一人物であるとされてきた。
それが、私の研究で別人であることが判明したのである。
穴穂部間人の「人」は「男」という意味であり、穴穂部間人=穴穂部間男なのである。
穴穂部間男が、間男であるならば、穴は鼻ではない可能性が出てきたのである。
鼻でなく、指の大きさ以下で、間男が関係してくるのは、そう。
女体のあそこである。
穴穂部間人は、穴ほじの間男だったのである。
以上のように、穴穂部皇子と穴穂部間人が別人物であるということを、みてきたのだが、ここでもう一つの可能性を見出したいと思う。
穴ほじの間男は、渡来系ではなかったのではないだろうか。
古代大和では、こんなスケベな名前を名乗ることはなく、渡来系がバカにされてこう呼ばれた可能性が高いのである。
もちろん、鼻ほじの皇子も渡来系であった可能性がることは再度写真を見ていただけるとわかることである。
このように、穴穂部皇子、穴穂部間人ともに渡来系であったとするのが結論づけられる。
鼻ほじの皇子も穴ほじの間男も、大和にはなじみがないので、このように名前を変えて記録されたのであろう。
Posted at 2011/05/01 14:53:29 | |
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