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2016年10月05日 イイね!

焼失した東大寺七重塔、「100m級」裏付けか

焼失した東大寺七重塔、「100m級」裏付けか焼失した東大寺七重塔、「100m級」裏付けか


2016年10月05日 08時48分 読売新聞

平氏の焼き打ちで焼け焦げた階段の踏み石(4日午後、奈良市の東大寺東塔跡で)
 奈良時代に創建され、平安時代末期に焼失した東大寺(奈良市)の七重塔「東塔とうとう」の基壇(土台)が約24メートル四方だったと、同寺などが4日、発表した。

 寺の記録通り高さ70メートル~100メートルの巨大建造物だった可能性が強まったという。

 平安時代末期の寺誌「東大寺要録」などによると、東塔は700年代半ばに西塔とともに建立されたが、1180年に平重衡しげひらの焼き打ちに遭った。鎌倉時代の1227年に再建されたものの、1362年に雷火で再び焼け、その後は再建されなかった。

 東大寺と奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所が昨年7月から発掘調査を始め、同11月には再建時の基壇が約27メートル四方だったことが判明していた。









1日で歴史のニュースが二つでるなんて、めずらしいね。

諸国、国分寺周りしたいなー
Posted at 2016/10/05 14:23:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日本史を継ぐ者 | ニュース
2016年10月05日 イイね!

平城宮跡で出土した木簡。ペルシャ人とみられる名前が書かれていた=奈良文化財研究所提供

平城宮跡で出土した木簡。ペルシャ人とみられる名前が書かれていた=奈良文化財研究所提供奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前
2016年10月05日 06時00分

平城宮跡で出土した木簡。ペルシャ人とみられる名前が書かれていた=奈良文化財研究所提供



 奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯はし」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。

 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。

 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。

 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「員外大属いんがいだいさかん」という役職名、中国語でペルシャを表す「波斯はし」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元年(765年)」という年号が書かれていた。








木簡の発見でいろんなことがわかるようになってきたよね。

前にうpすた木簡は、結局見に行かなかったなぁ・・・
Posted at 2016/10/05 14:16:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | zusammen | ニュース

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