
「関ケ原」の前哨戦で焼けたか 謎多い伏見城、石垣発見
朝日新聞デジタル
3 時間前
伏見城跡の発掘現場(中央下)。模擬天守(上)の南西側の斜面から石垣の一部が見つかった(京都市伏見区、「四門」提供)© 朝日新聞
豊臣秀吉が築城し、徳川家康が再建した伏見城跡(京都市伏見区)で、関ケ原の戦いの前哨戦(1600年)で焼けたとみられる石垣がみつかった。
民間の発掘調査会社「四門(しもん)」が14日発表した。
専門家によれば、伏見城跡で築造時期が特定できる石垣がみつかるのは珍しく、なぞに包まれた伏見城の実像に迫る貴重な発見としている。
伏見城は秀吉が1592年、京都・桃山の指月(しげつ)の岡に築城を始めた(指月伏見城)。
慶長大地震で倒壊したが、北東の木幡山(こはたやま)に再建された(木幡山伏見城)。
関ケ原の戦いに先立ち、西軍が城を囲み、籠城(ろうじょう)する家康の家臣に対して攻撃(伏見城の戦い)。城は焼失したが、その後は家康が再建して支配下に置いた。
調査では、木幡山伏見城の天守の西側にあたる斜面の下から、南北方向に石垣の1段目と基礎となる根石が幅約4メートル分出土。石は赤く変色して割れ、焼けた土にも覆われていたため、城が焼失した際に焼けた痕跡とみられる。
最近は、遠出の旅行してないななぁ。
冬は、日本海側には行けないので、南の方の城に行ってみたいな。
Posted at 2017/12/14 22:00:34 | |
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