• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

川瀞庵の庵主のブログ一覧

2018年02月16日 イイね!

徳川家康、上洛時ここで寝ていた? 滋賀・永原御殿跡 初の本格調査

徳川家康、上洛時ここで寝ていた? 滋賀・永原御殿跡 初の本格調査徳川家康、上洛時ここで寝ていた? 滋賀・永原御殿跡 初の本格調査

産経新聞
2018/02/15 07:47

: 永原御殿跡で確認された「古御殿」とみられる建物跡=野洲市永原© 産経新聞 提供 永原御殿跡で確認された「古御殿」とみられる建物跡=野洲市永原


 徳川家康ら江戸時代の将軍が3代にわたり上洛時に宿泊した滋賀県野洲市永原の永原御殿跡で、将軍の寝室や茶室などとして使われていたとみられる建物跡が見つかり、市教委が14日、発表した。



 市教委によると、永原御殿は家康が1601年までに築いたとされ、秀忠、家光の3代の将軍に利用された。

家康が7回、秀忠が3回、家光が2回宿泊したとされ、1685年に解体された。



 面積約4万平方メートルのうち、このうち今回初めて調査を行ったのが「本丸」で面積は約2万5千平方メートル。

これまでも永原御殿跡付近の発掘調査は行われてきたが、本丸での調査は初めて。

昨年8月に着手し、私有地で竹林だったため詳細が分からなかったが、今回竹林の伐採などを行ったことで建物配置が一部明らかになった。



 今回の調査では、江戸時代の間取り図に基づいて発掘。見つかったのは、将軍の居室「古御殿」とみられる建物跡で西側の長さ約12メートル、北側で約7メートル以上。

南側では矢穴跡が残る1辺約30センチの礎石も見つかった。



 また見取り図で「御亭」と記された部屋は東西4・5メートル、南北4・8メートルで、茶室か、外を眺める望楼とみられるという。



 調査にあたった東谷智甲南大教授(近世史)は「大坂の陣や3代家光への代替わりなど、政治的に重要な時期に利用された御殿の実態解明に役立つ」としている。



 調査は来年度まで行う予定。17日午後1時半から、現地で説明会を開く。問い合わせは同市役所((電)077・587・1121)。















近世の陣屋とかってあまり興味なかったんだけど、家康のものとなれば規模もでかいだろうし、

お城好きとしては、興味が湧く。

行ってみたいなぁ。
Posted at 2018/02/16 10:43:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日本史を継ぐ者 | ニュース

プロフィール

「光岡のM55がかっこいいと思う」
何シテル?   11/29 20:10
74式戦車と同じ年です 相模川の瀞庵の庵主で、日本文化の継承をしています 三増峠(信玄道) 戦車道路 行幸道路 大山街道等をうろついて...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2018/2 >>

    123
4 56 78910
11 1213 14 15 16 17
18 19 20 21 22 2324
25 26 2728   

リンク・クリップ

徳行悟宗庵主 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2011/06/19 07:01:05
 
日本メガネ党 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2009/07/09 07:53:29
 

愛車一覧

ダイハツ ミライース 赤いこりん星w (ダイハツ ミライース)
ミラはジーノに継いで2台目です。 SAが付いていて、安心感が持てます。
スバル インプレッサ スポーツ カワトロ・バジーナ機 (スバル インプレッサ スポーツ)
高機動性偵察機
三菱 その他 士魂 (三菱 その他)
ビジュアル系エアソルジャーでSAMURAI DRIVE
スズキ MRワゴン スズキ MRワゴン
妹と義弟の車です。 後部座席は、たたんで犬が乗れるようにしています。 新古車です。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation