
「おそらく私が最後の住人」武芸優れた足軽の里
2018年08月20日 13時20分
稲子地区の歴史について説明する高橋館長
宮城県内で最も人口が少ない七ヶ宿町で、福島県境の稲子地区を紹介する企画展が同町の「七ヶ宿水と歴史の館」で開かれている。
かつては仙台藩で重要な役割を担った同地区だが、現在の住人は一人。
同館は「観光客だけではなく、地元の人も稲子地区の歴史を知ってほしい」と呼びかけている。
同地区は1681年(天和元年)、旧街道のそばの要衝として仙台藩直属の足軽10戸が配置されたのを契機に誕生。
明治以降は、林業や炭焼きで生計を立てる住民が中心となり、1960年には最大127人が暮らした。
その後、町全体の人口減少のあおりを受け、現在の住民はただ一人だ。
「仙台藩山守足軽の里 稲子」と題した今回の展示は、元町職員の高橋正雄館長(65)が企画。
町内や仙台市内などに足を運んで集めた古文書や公文書の写し、地区内で製造し販売された農機具など約50点を紹介している。
中には1878年(明治11年)に内務卿・大久保利通が同地区を福島県に編入することを記した通達や、翌79年(明治12年)に次の内務卿・伊藤博文の名前で宮城県返還を決めた文書もある。
居合術や鉄砲の免許が皆伝されたことを示す古文書も見つかり、高橋館長は「稲子の足軽は武芸と教養で優れていたことが分かる」との見方を示す。
同地区で唯一の住民となった佐藤富世司とみよしさん(72)は「おそらく私が最後の住人になるでしょう。稲子の歴史を紹介してもらえるのはうれしい」と話している。
11月11日まで。入館料は一般310円、高校生200円、小中学生100円で、町民は期間中入場無料。問い合わせは同館(0224・37・2739)。
2018年08月20日 13時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
七ヶ宿町は、何度か通過したことがある。
山間の町だが、やけに整っている町割りだとおもったら、こんな歴史があったのね。
この企画に行ってみたいが、11月までかぁ。
たぶん行けないだろうな。
まだまだ、行ってみたいところがいっぱいある。
旅行行きたーい!
Posted at 2018/08/20 14:34:45 | |
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