荻野山中藩陣屋は、小田原藩の支藩、
荻野山中藩の陣屋です。
江戸時代、相模国は旗本や御家人の領地が細かく分布していて藩と呼ばれるものは、東海道の抑えとして譜代大久保氏に任された小田原藩しかありませんでした。
小田原藩第五代藩主大久保忠朝の次男教寛は、相模国内に六千石分封され、分家となった。 その後、駿河国駿東郡五千石の加増を受け、一万一千石になり諸侯に列した。この頃、陣屋は駿河国駿東郡松長村(現在の静岡県沼津市)の松長藩内に置いていた。 荻野山中藩となったのは五代教翅のときで、陣屋を移したのは天明3年(1783年)である。陣屋を移したのは、参勤交代の費用を抑える狙いもあったとみられている。

高台になっているここが陣屋跡で、向こうには田んぼが広がっています。
湧き水が豊富で、ここから水を引いています。
田んぼには水車がありましたw
当時の地図にも載っている「シミズ」というところには、今も湧き水があり、水芭蕉やユリが咲いていました。
通信大学の史学科に入った頃に知った史跡です。
会社の先輩に「信長の野望」を教えてもらわなかったら、史学科に再挑戦なんてしませんでした。
泳げるようになったのも、この会社の先輩に無理矢理この近くのプールに連れていかれたから。
浮き上がると話しかけられるので、必死に泳いでいたら泳げるようになりましたw
今では、いい思い出です。
Posted at 2020/06/21 08:53:01 | |
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