
津久井観音霊場 第二番
春日堂
大聖山 三明院
12年前は、在家の札所でありましたので、この三明院となっていました。
この札所は、寛文五年(1665年)法印大内昇の開基であって代々法印職をを務める修験道の道場でした。
明治元年の神仏分離令により、稲生の春日神社内にあった春日堂を当時の法印が最後の法印職になる大内正和宅に遷座したものである。
その後大内正和氏は、法印職を離れたがそのまま在家札所として存在していた。
詳しくは、「新編相模国風土記稿」に書いてあります。真言系の修験道であったようだが、三明院については記載がない。
ここからは、6年前に出た新しいガイドブックによる説明
当社の成立は明応三年(1494年)
明治四年の鐘連印帳(泉乗院所蔵)に神佛分離政策の名主他連印の古文書が残る。
本地垂迹の観念から神社の神々と仏像を一緒に祀られていたらしいが、第二札所のために本村、三明院に安置されて幾度かの御開帳を経て138年後の平成20年に元の堂地に復元遷座するとある。
写真は、春日神社内に遷座した春日堂の看板と神社横の道にある廿六夜塔などの石碑。
私が御朱印を貰いに行ったときは、まだ在家の札所でした。
ガイドブックには、個人宅の写真と地図が載っています。
別当職が長竹山、泉乗院から三明院に移ったとありますが、三明院は大聖山であり、
いろいろなお寺で預かっていたのでしょうかね。
現在は、神社の敷地内に春日堂として安置しているので、山号はないようです。
Posted at 2020/10/10 11:02:50 | |
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観世音菩薩霊場巡礼 | 日記