
福岡・船原古墳で金銅製馬具出土、朝鮮半島情勢にらみ独自外交か
2020/11/13 18:05
福岡・船原古墳で金銅製馬具出土、朝鮮半島情勢にらみ独自外交か© 産経新聞社 福岡・船原古墳で金銅製馬具出土、朝鮮半島情勢にらみ独自外交か
福岡県古賀市の国史跡・船原(ふなばる)古墳(6世紀末~7世紀初め)近くの土坑から、玉虫の羽で装飾された金銅製の馬具が国内で初めて見つかった。
同様の馬具は、朝鮮半島南東部の新羅(しらぎ)の王陵クラスで出土した程度で、両地域の親密な関係を裏付けた。
一方で、当時の大和政権は新羅のライバル・百済(くだら・朝鮮半島南西部)と同盟関係にあり、船原古墳の被葬者が大和政権とは別に、独自外交を展開した可能性が浮かび上がった。
同古墳が築造された6世紀末~7世紀初めは、朝鮮半島の勢力図が大きく変わる転換点にあった。半島北部の高句麗(668年滅亡)と百済(660年滅亡)が衰えはじめ、新羅が勢力を伸ばした。
大和政権は百済と密接な関係を保つなか、新羅は北部九州の勢力に接近。半世紀ほどさかのぼる527年には九州の豪族・磐井(いわい)が新羅を後ろ盾に大和政権に反旗を翻す「磐井の乱」を起こした。
磐井は敗れ、大和政権は九州の統治を強化したが、その後も新羅は大きな脅威となっていた。
西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「大和政権は国家レベルで百済と同盟を結んだが、北部九州の勢力は朝鮮半島の複雑な力関係を見極めながら、独自につながりをもったことが考えられる」と話す。
船原古墳の馬具は、6世紀末の皇族の墓とみられる藤ノ木古墳(奈良県斑鳩(いかるが)町)に匹敵する豪華さ。
西谷氏は「玉虫の羽をあしらった超一級品だけに、大和政権から特別に下賜された可能性もある」とし、「大和政権の統治がどこまで及んだかを考えるうえでも重要な発見」と指摘した。
弥生時代以来、大陸との交流の最前線にあった北部九州勢力。大和政権とバランスをとりながら巧みな政治力を発揮した姿がうかがえる。(小畑三秋)
この時期、こういった発掘調査の報告があがる時期なのですが、コロナ禍で発掘自体をやめたところもあるなか、こんな国宝級のものも発掘されたのですね。
復元して展示してほしいなぁ。
Posted at 2020/11/14 12:40:33 | |
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