
津久井観音霊場 第十五番 大智山
正覚寺
臨済宗建長寺派
まずは沢沿いの裏参道から車で入って、駐車して国道沿いの正面に戻ってきた。
正覚寺の草創は、1100年程前と言われ、相州鎌倉桐ケ谷の真言宗宝積寺派に属し、現在のバス停、「石老山入口」南方20m先西側、不寝の馬場(いぬのばんば)の地に創建されたと言われる。
嘉慶元年(1387年)建長寺第二十八世覚海禅師の法孫で、雲居寺開山鎌渓禅師の法嗣、雲玄陰和尚が開山している。
永禄十二年(1569年)三増合戦のおり、武田勢帰陣の道明りとして堂宇を焼き払われ、間の山南山麓、山口の末寺に移転する。
第十六世義海玄仁和尚の代、弟子の粗相にて堂宇を消失し、現在地阿津に再建。
石段の脇にあるのは、俳句を碑にしたもの(この寺のゆかりの一般人)
第十九世天宗玄 和尚の代に内外の寺容を整える。
第十六世を中興開山
第十九世を再中興開山と称している。
「新編相模風土記」に末寺ニケ寺を有するとあるが、一ヶ寺は先の山口の末寺のことで、他の一ヶ寺は、四国今治二万石の領主小川祐忠が開基となって建てた小川庵で、天保年間(1830~44)に廃寺となったため、正覚寺に合併している。
霊場本尊の観音像は、昔から子供の命名加持が行われたことから、名付け観音として知られる。
境内には、西行法師の歌碑、柳田國男の句碑、道祖神、木洞地蔵、五色つばき、滝つつじ等があり、近時俳句寺として有名である。
右の立っている石が西行の歌碑だが、読めるようなものは何もなく、左の寝ている石が西行の腰掛石だそうです。
北海道出身の国語の先生を連れてきたことがありますが、「本土は、教科書に載っているものが本当にある」と言って感激していました。
私も、12年前までは西行がこんな所に来たとは知りませんでした。
寺宝も合併した各寺の本尊など多く、涅槃図や達磨大師図などの法具が多いそうです。
難しいので、いままでは誰が開基だとか人名はあまり書いてきませんでしたが、ここは、津久井観音霊場の1番雲居寺と関係が深いので書いてみました。
また、天皇陛下が石老山をお登りあそばせた時に案内役を務めたので、URLも貼っておきます。
Posted at 2021/05/30 10:53:58 | |
トラックバック(0) |
観世音菩薩霊場巡礼 | 日記