• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

川瀞庵の庵主のブログ一覧

2021年09月15日 イイね!

桂の里お散歩

桂の里お散歩石楯尾神社の後は、吉野宿をちょっとだけ見てきました。

吉野宿は甲州街道の江戸から16番目の宿場で、甲府との中間にあたります

とあり、本陣1軒・脇本陣1軒・旅籠3軒の小さな宿場町ですが、この地に架かる橋は小猿橋と言って山梨の猿橋と同じような造りでした。

地盤が弱く、道が作れなかったのでこのような特別な造りの橋を架けたそうです。

おそらく、橋が渡れなくなった時のための足止めの宿場町だったのだと思います。

吉野宿は、桂川に由来して桂の里と呼ばれていました。

吉野の名の由来は、承久の乱で天皇方についた吉野氏が落ち延びてきて土着した吉野家が本陣・名主としていたからといいます。現在でも屋号は、本陣だそうです。
alt

明治天皇が行幸のさいにこの地で、昼食をとられたとのことで、聖蹟の碑が立っています。

御行幸当時は、木造五層の建物がこの聖蹟の碑の後ろに建っており、その2階で昼食を取られたようですが、後の大火により焼失。現在は写真の土蔵のみ残りました。

土蔵もボロボロで歩道側には金網が貼ってありなんとも残念。


alt

お金がないなりにも少しは宿場っぽく見せるためにか、塀の瓦だけはちょっと綺麗。

あとは、隣家の塀が趣を残すのみでした。


alt

明治天皇御在所から甲州街道を挟んであるのが、今は資料館になっている吉野宿 ふじや

旅籠のなごりが見られる建物です。甲州街道は一般の人は、富士山や身延山参りの人でにぎわったそうです。

旅籠としての役目を終わらせた後は、2階は養蚕に用いられたそうです。
※緊急事態宣言で資料館はやっていませんでした。

吉野宿本陣跡では、数年前は吉野氏が講演会などしていたようですが、ご高齢のためか今では土蔵もあのような状態で他は更地になっており、「私有地」の看板が立っています。
ここから少し歩いた所に、吉野宿の高札場もありますし、旧甲州街道も残っています。

ただ、交通量の拡大やトラックの重さなどのために近代化された橋を架け(一番上の写真の右側に写っている)、そこへのアクセスのために新しい国道が引かれていますので、旧甲州街道は地元の人か歴史に興味のある人しか使わなそうです。


alt


Posted at 2021/09/15 14:42:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 中央線が好きだ。 | 日記

プロフィール

「光岡のM55がかっこいいと思う」
何シテル?   11/29 20:10
74式戦車と同じ年です 相模川の瀞庵の庵主で、日本文化の継承をしています 三増峠(信玄道) 戦車道路 行幸道路 大山街道等をうろついて...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2021/9 >>

   1 23 4
56789 1011
12 13 14 151617 18
19 20 21 22232425
26 272829 30  

リンク・クリップ

徳行悟宗庵主 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2011/06/19 07:01:05
 
日本メガネ党 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2009/07/09 07:53:29
 

愛車一覧

ダイハツ ミライース 赤いこりん星w (ダイハツ ミライース)
ミラはジーノに継いで2台目です。 SAが付いていて、安心感が持てます。
スバル インプレッサ スポーツ カワトロ・バジーナ機 (スバル インプレッサ スポーツ)
高機動性偵察機
三菱 その他 士魂 (三菱 その他)
ビジュアル系エアソルジャーでSAMURAI DRIVE
スズキ MRワゴン スズキ MRワゴン
妹と義弟の車です。 後部座席は、たたんで犬が乗れるようにしています。 新古車です。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation