
坂東三十三観音 第八番 妙法山 星谷寺
持宝院 真言宗大覚寺派
星の谷観音とも呼ばれるこの寺は、もとは寺の北東にある山頂(現在の座間谷戸山公園・伝説の丘)にあった観音堂の別当寺として建立されたもので、
観音堂とともに行基によって創建されたと伝えられる。観音堂は鎌倉時代に焼失し、現在地に移されたと伝えられる。
平安末から鎌倉初期にかけての武将 佐々木信綱による寄進。
信綱は、源実朝の挙兵の際に活躍した佐々木四兄弟の一人定綱の四男(参考:早川城址)
歴史ファンなら、ピンとくると思うが、佐々木氏は近江の佐々木氏である。
平家の台頭で、近江を追われた佐々木氏は相模国高座郡に身を寄せていた。
山門はないものの、仁王様の銅像がある。
左の仁王様の後ろに見えるのは、白い、木像ではない鐘楼
この梵鐘は、星谷寺七不思議のひとつで、撞木が一つの梵鐘(普通は撞座が二つ、日本三奇鐘の一つ)だ。
国指定重要文化財なので思ったよりも近づけないが、なるほど、後ろ側には撞座がない。
本堂へ向かう参道に、橋が架かっていると思ったら、左端に見える大きな銀杏の根を避けるために橋のようにしたもので、水は流れていない。
手水屋の後ろには、巨大化した宝篋印塔の先が見えるw
この宝篋印塔は、江戸時代に巨大化したもので、鎌倉郡座間郷と宝篋印塔に書かれている(座間は高座郡の真ん中に所在している)
これは、源氏の武田信玄が相模国を領国した暁には、この地に幕府(新鎌倉幕府)を開こうとしたという逸話によるものと思われる。
本堂の内部は、江戸時代に観光地化されたためか、天女などの彫刻があり、現在も千社札などが貼られていている。千社札は、個人的に嫌い。
扉の彫刻の方が、好きw
星谷寺の額 本堂を覗いたが神社みたく鏡があった。暗くてよく見えなかったが、たぶん鏡だと思う。ガラガラの鈴もあったし、何か変わっているが、本堂に入ってお賽銭を挙げれるのは、よかった。
星谷寺は、我が主北条氏照も頻繁に宿泊した寺院でもある。
覗くと昼間でも星が見えると言う井戸だが、格子の蓋や草に覆われていたので、覗いても解らなかった。
ウィキペディアに載っている、八不思議のうち2.3.5.6の植物に関するものは今回確定確認ができなかった。
それから、徳川家康は同じ宿をとるにしても、座間市内の他のお寺に宿泊しているので、このお寺は嫌厭されたのだろうか。
Posted at 2022/04/14 10:11:28 | |
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観世音菩薩霊場巡礼 | 日記