
観光も順次始まりだしたので、3年越しに横浜に行ってきました。
まずは、職場の人に教えてもらった磐座を見に伊勢山皇大神宮へ。
スマホでグーグルマップを見ながら野毛の街を歩き、到着。
横浜総鎮守
伊勢山皇大神宮
時は明治3年、幕末の開港により歴史の表舞台へと躍り出た横浜は、国際貿易港として、また文明開化のさきがけの街として、日ごとに目覚ましい発展を遂げていきました。
横浜の急速な近代化を推し進めた当時の神奈川県知事・井関盛良は、その一方で横浜の人々が日本の美しい国柄を見失わないように、横浜の象徴となり、また、人々の心の拠り所となる守り神が必要だと感じていました。
そこで、戸部の地の旧祠を再興し、横浜の総鎮守・神奈川の宗社として、港と街を一望する丘の上へ遷座したのです。
照四海と呼ばれる常夜灯。
大正15年に建てられましたが、かつては海からも灯りを見ることができたという。
関東大震災でも傾かなかったという、大注連柱の先には、拝殿があります。
本殿は、第六十二回神宮式年遷宮の後に当宮へ譲渡され、令和2年の創建150年の奉祝事業として移築をした、茅葺屋根、千木・堅魚木と呼ばれる棟飾りで再現されました。
そう、これを見に行きたかったのです。
でも、ダイアモンドプリンセス号のことがあり、職場からは横浜へ行ってはいけないとのお達しがあり、親も反対していたので、今年になってしまいました。
拝殿の横の木板の間から、本殿が覗けます。
で、本当の目的はこちら!
磐座です!
本殿横にある大神神社のご神体。
明治の新しい神社ですが、磐座があるんです。
職場の教えてくれた人が、言い間違えて「さざれ石」と言っていたので、最初はさざれ石を探したのですが、見つからないので神職の方に聞いたら、磐座ならあると教えていただきました。
そういえば、「あ、さざれ石じゃなくて、磐座、磐座」と言い直していたのを思い出しました。
なんでも、もう三年前のことなんで忘れていました。
つづいて、掃部山公園へ行こうとして違う参道を下りると水神宮がありました。
昔は水が湧いていたんでしょうかね?
今は横浜水道の水道らしいです。
ちなみに、かつて当宮に隣接していた皇室の御用邸「伊勢山離宮」に明治天皇がご宿泊されたことが「海の日」の由来になっています。
隣と言っても、周りに高い建物があってよく解らなかったので、グーグルマップを見て歩いていたら、後ろから女の人が、大きな声でなにやら怒って独り言を言っていた。
横浜は、怖いなぁと思っていたら、「スマホ見ながら、チンタラ歩いているんじゃねーよ!おニイちゃん」って、俺の事かw
で、知らんぷりしてまたグーグルマップを見て公園の入口を探していたら、脇からおじいさんが出てきたので、スマホで確認すると、一応ここも入口の一つになっていそう。
入って行こうか迷っていると、先ほどの女性が、「お地蔵さんかっ!」とw
あんまり気分がよくなくなったのですが、公園の下の方にある日本庭園でちょっと癒され。
また銅像のある所から、公園を出て、横浜能楽堂へ。
拝観したかったが、コロナ禍でなのか、ただいま見学できませんの文字が。
興味のある方はYouTubeで。能が見られるようです。
なんだか、あまり気持ちは回復できず帰路につきました。
Posted at 2022/06/12 11:25:27 | |
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京急線 普通電車の旅 | 日記