
善福寺公園に行って来ました。
善福寺公園は、善福寺川の源流 善福寺池周辺をフィールドミュージアムとして保全・普及という博物館的活動を構想した地区です。
江戸の水がめの環境を伝える風致地区
フィールドミュージアムとは、従来の博物館のように建物内に展示物が入っているのではなく、その地域の自然や歴史、風土、文化、人々の営みそのものを博物館とみなし、保全・普及という博物館活動を通じて、訪れた人々に地域の価値を発見してもらいその良さを知っていただこうという構想です。
このフィールドミュージアムガイドでは、地域とのつながりのある特徴的な自然や歴史資源が豊富な、23区北西部に位置する善福寺公園についてご紹介をしています。
善福寺公園とその地域の多様な価値を知って実際に体感していただき、さらなる新しい魅力を発見してみてください。
公益財団法人 東京都公園協会 善福寺公園サービスセンター フィールドミュージアムガイドより

武蔵野の三大湧水池と知られ、江戸時代には神田上水の補助水源として江戸の水がめとも呼ばれました。
公園の名は、かつて池のほとりにあった善福寺(現在の善福寺とは異なる)という寺に由来していると言われています。
善福寺池 上の池
「日本野鳥の会」を創設した中西悟堂氏が、善福寺池近くに住居を構え、池の生物観察を行った場所として知られます。
ボート場は昭和12年から運営されているそうです。
上池と下池をつなぐ遅野井川
またげる位細い流れです。
下の池
下の池は、善福寺川をせき止めて作った人工池です。
流れがゆるいので植物が群生しています。
下の池の池尻から善福寺川が始まります。
池周辺の樹木は、上の池に比べて野趣に富んでおり、写生を楽しむ人を多く見かけます。
私達が行った時も、写生をしている人が大勢いました。
池尻を回って今度は上の池の対岸へ
遅の井の滝
善福寺池の湧水の一つ。
起源は古く、言い伝えによると1189年、源頼朝が奥州征伐に向かう途中、この地で飲料水を求め地面を掘ったといいます。
ところが、折からの干魃でなかなか水が出ず、自ら弓の「はず」で掘ること7度目にしてようやく水が湧きだし、水の出を「今や遅し」と待ったことから「遅の井」と命名されたといいます。
現在では泉が涸れてしまっているため井戸を掘り、ポンプで汲み上げて復元しています。
住宅地から鳥居をくぐって、下り参道を進むと善福寺池の上の池へ行けます。
上の池にある2つの中島のうち大きい方には、井草八幡宮が所有する弁財天(市杵島神社)がまつられています。
遅の井の滝のすぐ近くにあり、私が見ていると後から来たカップルが、二礼二拍手一礼していたので、振り返ると坂の上に上述の鳥居が見えました。
やはり湧水と寺社仏閣はセットになっているんですね。
Posted at 2024/04/20 09:00:58 | |
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中央線が好きだ。 | 日記