
日本初の宮廷庭園跡、奈良・飛鳥京跡苑池の南池ほぼ全容判明 大垣で囲み、島には松
2013.11.20 20:07
飛鳥京跡苑池の復元図(奈良県立橿原考古学研究所提供)
飛鳥京跡苑池の復元図(奈良県立橿原考古学研究所提供)
飛鳥時代(7世紀後半)に造営された日本初の宮廷庭園跡とされる奈良県明日香村の飛鳥京跡苑池(えんち)で、南池(みなみいけ)を調査した県立橿原考古学研究所(橿考研)は20日、全容が判明したと発表した。苑池全体を「大垣」で囲んでいたほか、五角形の南池に造られた中島(なかじま)(島)は石積みで護岸整備し、松も植えて景観を整えていた。橿考研は「日本庭園史の出発点を飾る庭。万葉歌を詠むポイントだったのかもしれない」と推測している。
橿考研によると、南池は北池とともに苑池の中枢で、東西約65メートル、南北約55メートル。周囲は石積み護岸で、底に石を敷き詰めていた。水深は約30センチとみられる。
南池の南東の高台で今回、飛鳥時代の塀跡が確認され、苑池を囲む板塀の大垣跡と判明した。大垣は南北250メートル以上、東西70メートル以上。苑池の面積は2万平方メートル以上と推定される。
南池に造られた中島は東西約32メートル、南北約15メートルと細長く、護岸には大きな石を4段に積んでいた。島の中では松の根も見つかった。
池の東西の岸からは柱を抜き取った跡が複数見つかり、両岸に鑑賞用施設があったとみられる。近くの高台からは池を望んだとみられる建物跡も見つかった。
苑池は、天武天皇らの宮殿があった飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)の北西に位置していた。橿考研の菅谷文則所長(考古学)は「宮殿と直結した巨大な苑池であることが裏付けられた。飛鳥のグランドデザインの復元に役立つ成果だ」としている。
現地説明会は24日午前10時~午後3時。問い合わせは橿考研((電)0744・24・1101)。
万葉考古学というものを習ったことがある。
現地説明会、1日だけかぁ。
行きたいなぁw
まぁ、無理だけどね。。。
Posted at 2013/11/21 19:02:07 | |
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