
天武・持統陵に午後立ち入り 奈良、八角5段の墳丘 鎌倉時代には盗掘被害
2014.2.21 10:18
奈良県明日香村の天武・持統天皇合葬陵
奈良県明日香村の天武・持統天皇合葬陵
宮内庁が管理する奈良県明日香村の天武・持統天皇合葬陵(7世紀後半)に21日、日本考古学協会など考古学、歴史学関係の15団体の研究者が立ち入り、墳丘の様子などを観察した。
陵墓は宮内庁が立ち入りを制限し、これまで外部研究者による調査は行われていないが、同庁は昨年、合葬陵の構造について天皇陵固有とされる「八角形墳」で5段築成と結論付ける論文を発表。昭和25年以降の調査結果などから、最下段の一辺は約15メートル、全体の高さは約7・7メートル、凝灰岩の切り石で覆われ「仏塔のようだったと推測される」と報告した。
宮内庁管理の陵墓には被葬者に論争があるものが多いが、今回の合葬墓は鎌倉時代に盗掘されて内部の詳細な記録が残されており、研究者の間でも天武、持統両天皇が埋葬されたとみる説が強い。
天武天皇は壬申の乱に勝利した後、673年に飛鳥で即位。天武、持統天皇は律令国家形成の基盤を造った。
研究者団体は陵墓の研究や保存のためとして、平成17年に近畿にある陵墓への立ち入り許可を宮内庁に申請。これまで邪馬台国の女王卑弥呼の墓説もある箸墓古墳(奈良県桜井市)などを調査してきた。
この本は、18歳か19歳の時に読んだ本。
なんでも万葉仮名を漢文読みにすると古代朝鮮語でも、意味が通る歌が数首あるといふ。
書いてるの、朝鮮人だったんだ。
李寧煕
結構、信じていたのに、「韓民族優越主義に基づいた複数の韓国起源説を主張している」ってw
Posted at 2014/02/22 09:52:39 | |
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