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川瀞庵の庵主のブログ一覧

2017年03月09日 イイね!

太平記関連の史跡に行ってきました

太平記関連の史跡に行ってきましたここ数年かけて、相模国と武蔵国の境を流れる

境川周辺を巡ってみました。

写真は、淵辺義博の館跡です。

最初はいつだったか、野辺氏の居館あとだと言われていた、

矢部の土塁を見に行きました。

その後、粟飯原氏の治めたであろう、相原。

淵辺氏ゆかりの淵野辺など、おおむね横浜線沿いに見ました。

地元で、いつでも行けると思っていたので、訪れるのが数年越しになってしまい、

しかも、いつでもこれると思ってか、写真が残っていないという残念な結果ですが、

今回の淵辺義博の館跡で一応終わりです。




M氏、来相模のおりは、太平記の史跡めぐりでもどうですか?w

ちなみに、この間行った鎌倉では新田義貞の本陣跡に行きました。




さて、太平記自体は、吉川栄治ででもいいから読みたいと思っています。
Posted at 2017/03/09 10:39:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 横浜線沿線散歩 | 日記
2017年03月06日 イイね!

民俗芸能大会を見に行ってきました

海老蔵や団十郎は嫌いですが、歌舞伎がよかったです。

海老蔵と団十郎のせいで、歌舞伎って嫌いだったんですが、

子どもがやる村歌舞伎は、涙腺が緩むほど良かったです。

昭和の部門では、○○音頭をやってまして、初めてきちんと歌詞を意識して聞きました。

小学生の頃は、踊りを覚えるだけであまり歌詞は聞いてなかったもんなぁ。

あと、招待団体のエイサーがありましたが、なんか違う・・・

大学生と大学OBらでやってたんですが、そりゃー、声も大きいし、太鼓叩いて華がありましたが、

なんか違うんだよなぁ。

よさこいとかソーラン節とか流行りのを1団体入れることになっているんだろうけど、ジャンルが違い過ぎる気がした。

まぁ、好き嫌いよりも子供に文化の継承をさせるのが目的だし、そんなに人が入るような大会じゃないから、みんなまとめて一緒くたにやったんだろうけど、なんかねぇ。

Posted at 2017/03/06 10:25:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 地方創生 | 日記
2017年03月05日 イイね!

今年も花粉の季節がやってきた

花粉が酷い時期は、なるだけ外出を避けていますが、

今年は、図書館で本を借りてきて暇をつぶそうと思い、借りてきました。

読みたいが、買うにはおよばない本。

完訳「グリム童話」第7版

を借りてきました。

本当は怖いと言われているグリム童話ですが、グリム兄弟が童話を集めた時代背景に興味があり、その中でも一番面白いとされている第7版を借りてきました。

世界史をやるときに、時代背景が解らなければ、ある程度小説から入ってもよいと言われたので、

「大地」に続いて物語から入ってみました。

本来のゴールは、グリム時代の森の民を知ることですが、まぁ、ぼちぼち読んでまいります。

にしても、世界史をやる人はたとえ童話であってもドイツ語で勉強するんですよね。

俺には、絶対ムリだ・・・。



Posted at 2017/03/05 09:55:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | zusammen | 日記
2017年03月02日 イイね!

巨大方墳に驚き

巨大方墳に驚き小山田古墳:巨大方墳に驚き…研究者ら「天皇」、「豪族」
毎日新聞 のロゴ
毎日新聞
13 時間前

 飛鳥時代最大級の方墳と判明した小山田古墳。一辺約70メートルという破格の大きさに研究者は驚きを隠さない。


被葬者は初の官寺建設や遣唐使派遣などで知られる舒明(じょめい)天皇か、それとも天皇をしのぐ権勢を振るった豪族・蘇我蝦夷(そがのえみし)なのか。



 飛鳥時代の大型方墳は、推古天皇陵とされる山田高塚古墳(大阪府太子町、長辺約60メートル)、石舞台古墳(明日香村、一辺約50メートル)などがある。


当時の権力中枢からは離れるが、千葉県・龍角寺岩屋古墳は一辺78メートルある。

 奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が新たに発見した石室通路(羨道(せんどう))の幅は約2・6メートルあり、石舞台古墳(2・1~2・6メートル)に匹敵する。


小山田古墳が築かれたとみられる7世紀前半について、菅谷文則所長は「他の古墳が縮小していく時代に巨大な方墳を造れたのは天皇しかいない」と指摘し、舒明天皇の初葬地説を取る。


木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)も「大寺を造るなど国家形成の歴史の中で画期となる人物」と指摘。


今尾文昭・関西大非常勤講師(同)は石室通路の石を抜き取った跡に着目して「抜き取り穴が丁寧に埋められている。


改葬後にも公的管理が続いた印象がある」とし、討たれた蝦夷の墓とは考えにくいとみる。

 一方、前園実知雄・奈良芸術短大教授(同)は「舒明天皇は火災で飛鳥岡本宮から別の宮へ移った後、二度と飛鳥に戻らなかった。


飛鳥の中心地に墓を造るとは考えにくい」と反論し、蝦夷説を推す。日本書紀は、蝦夷が642年に自分と息子入鹿の「双墓(ならびばか)」を造り、「大陵小陵」と称したと記している。

 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(同)は、小山田古墳は蝦夷、入鹿父子が邸宅を建てた甘樫丘(あまかしのおか)から南方に延びる丘陵にあることを指摘。


「一帯は蘇我氏の根拠地。大王墓より大きな墓となれば、7世紀の政治史を解き明かす大きなヒントになる」とする。


塚口義信・堺女子短大名誉学長(日本古代史)は、古墳の盛り土から見つかった瓦の破片が、蝦夷・入鹿の邸宅と関連があるとされる甘樫丘東麓(とうろく)遺跡の出土品と同型である点に注目する。

「蘇我氏に有利な資料。西隣の菖蒲池(しょうぶいけ)古墳と併せて大陵小陵と考えたい」と話す。【矢追健介、皆木成実】







なんかでかい方墳が発掘されたようですが、

蘇我氏は、昔の習った記憶では嫌な一族でしたね。

今は、再評価されているらしいですが、あまり興味ないので本は読んでないです。

買わないで図書館で借りてこようかな?
Posted at 2017/03/02 12:45:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | zusammen | ニュース

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「光岡のM55がかっこいいと思う」
何シテル?   11/29 20:10
74式戦車と同じ年です 相模川の瀞庵の庵主で、日本文化の継承をしています 三増峠(信玄道) 戦車道路 行幸道路 大山街道等をうろついて...
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