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川瀞庵の庵主のブログ一覧

2017年12月23日 イイね!

天皇誕生日

天皇誕生日今年最後に買った本

今上天皇の譲位について初めて知った光格天皇のことを知りたかったので、買いました。

カバー図版は
「光格天皇・安永9年(1780)御即位式図」

光格って、すごい名前だなと思っていたのですが、

光格天皇は、天皇号やいろいろな皇室の儀式を復活させた天皇であり、まさに天皇家に光を与えました。



今まで習った近世史よりも、やっぱりこっちの方が興味あるな。
Posted at 2017/12/23 09:38:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | zusammen | 日記
2017年12月14日 イイね!

最近、お城に行ってないなぁ。

最近、お城に行ってないなぁ。「関ケ原」の前哨戦で焼けたか 謎多い伏見城、石垣発見

朝日新聞デジタル
3 時間前

伏見城跡の発掘現場(中央下)。模擬天守(上)の南西側の斜面から石垣の一部が見つかった(京都市伏見区、「四門」提供)© 朝日新聞




 豊臣秀吉が築城し、徳川家康が再建した伏見城跡(京都市伏見区)で、関ケ原の戦いの前哨戦(1600年)で焼けたとみられる石垣がみつかった。

民間の発掘調査会社「四門(しもん)」が14日発表した。

専門家によれば、伏見城跡で築造時期が特定できる石垣がみつかるのは珍しく、なぞに包まれた伏見城の実像に迫る貴重な発見としている。



 伏見城は秀吉が1592年、京都・桃山の指月(しげつ)の岡に築城を始めた(指月伏見城)。

慶長大地震で倒壊したが、北東の木幡山(こはたやま)に再建された(木幡山伏見城)。

関ケ原の戦いに先立ち、西軍が城を囲み、籠城(ろうじょう)する家康の家臣に対して攻撃(伏見城の戦い)。城は焼失したが、その後は家康が再建して支配下に置いた。



 調査では、木幡山伏見城の天守の西側にあたる斜面の下から、南北方向に石垣の1段目と基礎となる根石が幅約4メートル分出土。石は赤く変色して割れ、焼けた土にも覆われていたため、城が焼失した際に焼けた痕跡とみられる。











最近は、遠出の旅行してないななぁ。

冬は、日本海側には行けないので、南の方の城に行ってみたいな。
Posted at 2017/12/14 22:00:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | zusammen | ニュース
2017年12月12日 イイね!

佐渡に行く楽しみが減ってしまった・・・

時事通信社

 北朝鮮による拉致被害者曽我ひとみさん(58)の夫で、新潟県佐渡市在住のチャールズ・ジェンキンスさんが11日午後8時52分、致死性不整脈のため佐渡市内の病院で亡くなった。

77歳だった。告別式は15日午前10時から佐渡市窪田19の3の黎明セレモニーホール佐和田式場で。喪主は曽我さん。



 ジェンキンスさんは米ノースカロライナ州出身で、元米兵。在韓米軍従軍中の1965年に軍事境界線を越えて脱走し、北朝鮮で暮らした。北朝鮮の学校で英語を教えるなどした。

日本から拉致された曽我さんと80年に結婚し、長女美花さん(34)と次女ブリンダさん(32)をもうけた。



 2002年の日朝首脳会談で北朝鮮が日本人拉致を認め、曽我さんが帰国。

ジェンキンスさんは04年に、2人の娘とともに北朝鮮を出国した。経由地のインドネシアで曽我さんと再会し、来日した。



 在日米陸軍キャンプ座間(神奈川県)に出頭し、軍法会議にかけられ禁錮30日と不名誉除隊の判決を受けて服役。釈放後、曽我さんの故郷、佐渡市で暮らしていた。



 北朝鮮にタイやルーマニアからの拉致被害者とみられる人がいたことも証言した。



 05年には北朝鮮での生活をつづった手記「告白」を出版。08年には日本の永住許可を取得した。佐渡市の観光施設「佐渡歴史伝説館」に勤務し、土産物を販売。

観光客との記念撮影にも応じ、親しまれていた。



 曽我さんは今年9月の記者会見で、ジェンキンスさんの近況について「高齢のため勤務時間を減らしている」などと話していた。



 曽我さんは12日、佐渡市を通じ「突然のことで大変びっくりしており、落ち着かない状態です。今何も考えられないので、後で落ち着きましたらコメントなど出させていただきます」とコメントした。

















数年前に、教員の本採用がなかなか通らないと言っていた先生が、

「今年通らなかったら、諦めようかな?」「島にでも行ってみようかな?」と言っていたので、

「通らなかったら、一緒に佐渡に行ってジェンキンスさんに会おうよ」と返事をしたのだが、

結局、その先生は本採用が通ったので立ち消えになったのでした。

いつか、いつか、と言っていて実現しなかった佐渡旅行。

早く行っておけばよかったな・・・ 
Posted at 2017/12/12 20:33:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ニュース
2017年12月11日 イイね!

浦賀奉行所跡地を市に寄付

浦賀奉行所跡地を市に寄付浦賀奉行所跡地を寄付 所有の住友重機、近く横須賀市に

2017年12月3日



 黒船が来航した幕末、江戸湾の海防を担った浦賀奉行所(横須賀市西浦賀)の跡地が近く、所有者の住友重機械工業(東京都品川区)から市に寄付される。

三年後に迎える開所三百年の節目に合わせ、地元では奉行所の復元を求める動きも出ているが、市は「今後の活用については全くの白紙。地元の意見を聴き、検討する」と強調した。



 奉行所は、一七二〇(享保五)年に伊豆下田(静岡県)から移設され、一八六八(慶応四)年まで浦賀港での船の積み荷検査や、周辺の沿岸警備を担当した。

一九六六~七〇年に住友重機が社宅を建設し、同社の従業員らが住んでいたが、主な勤め先の旧浦賀工場(浦賀ドック)が二〇〇三年に閉鎖されると、社宅も一三年に閉鎖。

今年六月に撤去工事が始まり、現在は更地になっている。



 土地の広さは約六千七百平方メートルで、基準となる路線価で計算すると約四億円。上地克明市長が住友重機の別川俊介社長から寄付の申し出を受けたといい、年内にも正式に契約する。


 奉行所の復元と、人口減少に悩む地域の活性化を目指し、地元の歴史愛好家らは昨年六月に「浦賀奉行所復元協議会」を発足。

会長で郷土史家の山本詔一さん(68)は「寄付は復元に向けた大事な一歩。地元でもあまり知られていない奉行所の歴史的な意義を広めていきたい」と語った。



 一方、跡地は住宅密集地の真ん中にあり、道路も狭い。長年、近くに住む女性(68)は「この辺は空き地が少なく、ボール遊びできる場所がない。子どもたちが元気よく遊べるような広場になるとうれしい」と話した。 (福田真悟)

















横須賀は家から見ると、正反対にある地域で行ったこともあまりない。

でも、ちょうど地方史の本を読み終わったし、整備されたら行ってみたいな。

Posted at 2017/12/11 10:47:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 地方創生 | ニュース
2017年12月10日 イイね!

久しぶりに日本刀を使った殺人事件聞いた

富岡八幡宮、どうして殺傷事件が起きたのか

宮司職の継承を巡って姉弟間にトラブル

読売新聞 2017年12月08日

一覧「富岡八幡宮、どうして殺傷事件が起きたのか 宮司職の継承を巡って姉弟間にトラブル | 読売新聞 - 東洋経済オンライン」



東京都江東区の富岡八幡宮で7日夜に起きた殺傷事件で、死亡した女性宮司の富岡長子さん(58)と弟の茂永容疑者(56)は長年、宮司職の継承を巡ってトラブルになっていた。


富岡さんを中傷する文書も出回り、八幡宮は弁護士名で茂永容疑者に警告文を出していた。警視庁は、恨みを募らせた茂永容疑者が姉の富岡さんを襲撃した後、自殺を図ったとみている。


事件があった富岡八幡宮(奥)(8日午前9時、東京都江東区で)=大石健登撮影

登記簿などによると、同八幡宮では1994年11月、宮司を務めていた富岡さんの父親に代わって茂永容疑者が宮司代行に就任。

複数の氏子総代によると、入院中の父親に無断で父親の退任届を提出していたことなどが発覚し、茂永容疑者は2001年春に退任させられた。



再び父親が宮司を務め、10年12月に姉の富岡さんが父親の跡を継ぐ形で宮司代行に就任した。

富岡八幡宮の責任委員会は富岡さんを宮司にするよう、全国の神社を統括する神社本庁(東京)に具申したが任命されず、同八幡宮は今年、神社本庁から離脱。

富岡さんは今年9月に正式に宮司となった。



関係者によると、茂永容疑者は01年に宮司を辞めた後、富岡さんらを中傷しないことを約束する合意書を交わしていた。


しかし、茂永容疑者は06年1月、「積年のうらみ。地獄へ送る」などと書いたはがきを富岡さんに送り付けたとして、同庁深川署に脅迫容疑で逮捕された。


茂永容疑者は罰金刑を受けたが、その後も富岡さんを中傷する文書が氏子などに複数回配られ、半年ほど前に同八幡宮は弁護士名で「万が一、中傷をしているなら合意書に違反する」との警告文を茂永容疑者に出した。

一連の問題に詳しい関係者は「その後は富岡さんからの相談がなかった。自分で解決しようとしたのではないか」と話した。



江戸時代から続く八幡宮の姉弟間のトラブルに、周囲も心配を募らせていた。

神輿(みこし)の巡行を取り仕切る総代の男性が今年7月頃、茂永容疑者と電話で話した際、富岡八幡宮が神社本庁から離脱する方針であることに憤り、富岡さんの悪口を言ったり、急に泣き出したりと、情緒不安定な様子だったという。


別の総代の男性は「後継ぎを巡る姉弟間の問題がずっと続いていた。茂永容疑者は富岡さんが宮司になったことが気にくわない様子で、いつか事件が起きるのではないかと心配だった」と話した。










富岡八幡宮は、何年か前に行ったなぁ。

息子もしょうもないけど、神社本庁から離脱ってのもすごいね。

Posted at 2017/12/10 22:27:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | ニュース

プロフィール

「光岡のM55がかっこいいと思う」
何シテル?   11/29 20:10
74式戦車と同じ年です 相模川の瀞庵の庵主で、日本文化の継承をしています 三増峠(信玄道) 戦車道路 行幸道路 大山街道等をうろついて...
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