さて後編の始まりです。今回の廃村紀行のメイン物件へやってまいりました。

周りの塀は倒壊し、ただの門だけになってしまってます。
この物件は誰がつけたか「軍人の家」などと言われております。
かつてこの家のタンスに旧日本軍の軍服が吊ってあったことが名の由来です。
この廃村で現在なんとか形を留めている家屋はココぐらいです。
余談ですがこの家の門を良く見るとあることに気づく方もいることでしょう。
それは、あの「ホントにあった呪いのビデオ」っていう視聴者投稿の心霊体験ビデオにこの廃屋の門が写っていたからです。
確かココを訪れた人がビデオ回しててそこに何かが写ってるってノリだったと思いますが、わたしは心霊系は信じてないので特に感じるものはございません。
余談終了^^
では詳しくみていきましょう....っていってもいつ崩れてもおかしくないのでちょこっとだけですが。

朽ちかけてもなお美しさを放つ木造の立派な門。職人仕事です。

門をくぐってさて入ろうと思いきや、床が完全になくなってました。おまけに天井からは ミシ ハラハラ と砂が落ちてきて.....
ココは危険と察知したわたしは即座に望遠端で撮影.....ヘタレ

横手に回ってみましたが.......ココもだめか

ふと見上げると「水」の文字が。
前になんかで読んだのですが、むかしの人が一番恐れてたのは火事だったそうです。そこで縁起をかついで水って文字を書いたとか。

再び正面側に回ってみたが、う~ん よく見るとM字開脚みたいにくずれんぞコレ

ふと横を見ると敷地内に蔵を発見!中にふる~い新聞がありました。
さてココでクイズです!この新聞に載ってる人だ~れだ^^

昭和35年って。古すぎる。

ハンドクリーム50円。一冬50円。貨幣価値の違いなど廃虚探索ってこーゆう発見が面白いんですよ。

こりゃまた年季の入った革靴です。たぶん相当高価なものと思われます。

さて再度潜入をするべく母屋のほうへ向かいます。

この階段を登る勇気はいまのところはない。

やたらと樽が多いですね。おばあちゃん秘伝の漬物があったとみた。

下駄箱?だったかの上にマガジンが。表紙にはショコタン。2008年5月14日号。
ん!?探索したこの日が2011年5月14日だから.......おお!!3年前の今日来たヤツが置いてったのか。
つーか廃村でわざわざマガジン読む気が知れん。

相当物色されてますね。廃虚にあるものには触れないようにしましょう。

ここで煮炊きされてたご飯はさぞ美味しかったことでしょう。

さて軍人の家をあとにし、村一番立派だったとわたしが勝手に推測している蔵の紹介をいたします。

中を覗くと完全に抜けた天井から差し込む光が美しかったりして。

大関の文字が。むかしは酒ってこーゆう木箱に入ってたんですね。渋い!!

木箱ついでに先ほどの軍人の家の庭にもこんな木箱がころがってました。
ジャパニーズ スイート オレンジ。この頃はみかん(甘夏?)がまだ珍しかったんでしょうか。
なんかいちいちかっこいいな~。

本来ただの倉庫である建物にこの凝った窓。

この蔵から軍人の家へつづく小道にもかつて家屋があったであろう場所がありますが完全に崩れ去っています。

このポットも他の家屋跡で何度か見かけました。みな同じ商店で買ってたんでしょうな。
新品売ってたらほしいかも。

こりゃまた古い洗濯機。こんなの始めてみます。アンティーク好きの人にはたまらないでしょうね

冷蔵庫の扉が落ちてました。見ると.....東芝のロゴがひっきたいでした。すげ

誰もいなくなった村でも四季があれば花も咲く。
滋賀県にはここ以外にもいくつか廃村と言われてる場所がありますが、実際にはまだ住んでる人がいたり、たまに帰ってきて家屋の手入れをされてたりするようです。しかしこの向之倉は完全な廃村。
もう帰ってくる人はありません。
ふとこの村に人が生活してたときを想像してみた。
その中になぜか子供達の姿が出てこない。
廃村になる過程を物語ってるようでなんかせつなくなってきました。
この村もいつかすべてが草木にのみこまれ土に還る日がくるのでしょう。
<滋賀県多賀町> 2011 5・14
Posted at 2011/05/24 01:12:00 | |
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