群馬県横川駅と長野県軽井沢駅をつなぐことにより東京と日本海を結ぶ重要な使命を担う碓氷線。しかし横川の標高は386m 軽井沢の標高は939m、その差553mもある。
この二つの駅をどのように結ぶべきか、様々な計画案が提出された。
結果、ドイツハルツ地方で運行を始めたアプト式鉄道が碓氷線に適用できないか欧州に出張中の仙石 貢技師と吉川 三次郎技師に視察させた。両技師はアプト式が碓氷線に最も相応しいと報告した。
両駅区間を18箇所の橋梁と26箇所の隧道で結び、66.7‰勾配の軌道をアプト式で走行した(わずか11kmの横軽区間を蒸気機関車で75分、電気機関車で42分の時間を必要とした)。
当初は蒸気機関車で客車を押し軽井沢駅へ向かい、牽引して横川駅へ向かった(機関車は横川側に連結)。勾配のきつい登りは より力が必要、乗務員乗客達は26箇所もある隋道内での煙害に悩まされる為、蒸気機関車が隋道に進入すると横川側入口に幕を張り空気の流れを遮断し、煙が前方に流れるのを防いだ。
各隋道入口には隋道番(幕引き係り)の番舎があり家族一同住み込んでいた。只、幕引きの仕事は大変危険で蒸気機関車進入のタイミングがあり、幕と共に引き込まれ殉職した者もいた。
このような理由から一刻も早い電化が望まれ明治45年電化に至る。当時の電化は第三軌条と呼ばれ軌道脇に三番目のレールを設け、600vの電気を流し機関車はここより電気を取り入れた。只、地際付近の為、保線夫が接触し感電する恐れもあり通電面以外木枠で防護されていた。
現在でも地下鉄丸の内線、銀座線がこの第三軌条である。
昭和38年アプト軌道北側に新線が出来、廃線となる。新線は粘着式と呼ばれ電気機関車二両が横川側に連結し電車を押し軽井沢駅へ向かい、牽引し横川駅へ向かった。所要時間は24分に短縮された。
平成9年さらに新線も長野新幹線開通に伴い横川駅と軽井沢駅間が廃線となり、現在バスが両駅区間を運行している。
長野新幹線 安中榛名駅~軽井沢駅間の勾配は30‰あり、こちらも急勾配である。
ED42現役の大変貴重な動画がありました。説明では昭和38年頃となっております。
横川駅までは通常の架線からパンタグラフで集電しますが、碓氷峠アプト区間は第三軌条という地際レールから集電する方式です。
ED42は両方から集電出来る電気機関車です。
ED42第三軌条集電の様子、アプト式で走行するED42の様子、軽井沢駅から信州側は電化されておらず、蒸気機関車D51が連結される様子等かなりマニアックに編集されており、撮影者の意気込みがひしひしと伝わってきます。
添付致しますので関連情報URLぜひご覧ください。
※横川駅の画像はお借りしました。
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庄助『想い出』 | 日記
Posted at
2015/06/29 18:36:35