豪徳寺(世田谷区)
彦根藩主井伊家墓所がある豪徳寺
2006年08月07日

豪徳寺は、山号は大谿山、曹洞宗の寺院です。
世田谷城主吉良政忠が、文明12(1480)年に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられます。高輪泉岳寺初世の門奄宗関が曹洞宗に改め、天正12(1584)年中興開山しました。
寛永10(1633)年世田谷領が彦根藩領となり、当寺が井伊家の江戸における菩提寺となったことから、寺号を藩主井伊直孝の法号久昌院殿豪徳天英大居士より豪徳寺と改号しました。
直孝の娘掃雲院は多くの堂舎を建立、寄進し、豪徳寺を井伊家の菩提寺に相応しい寺観に改めました。仏殿とその三世仏像、達磨・大権修埋菩薩像、及び石灯籠二基、梵鐘が当時のままに現在に伝えられています。
境内には、直孝を初め井伊家代々の墓所があります。墓所の北西角には、豪徳寺中興開基の直孝墓が位置し、そこから南西に直進したところに幕末の大老、十三代直弼(宗観院殿)墓があります。直弼墓に至る参道沿いには、藩主や藩主正室らの墓石が整然と並び、豪徳寺の伽藍造営に貢献した亀姫(掃雲院般・直孝長女)墓がその中央西側に位置しています。 墓所内で最も古い墓は、直時(広度院殿・直孝四男)のもので、万治元(1658)年に建てられました。直孝が没したのは万冶2(1659)年で、どちらの墓石も唐破風笠付位牌型で造られています。以降、豪徳寺に所在する藩主、正室、世子、側室の墓石は、いずれもこの形式で建造されました。また、幕所の北側の一角には、早世した井伊家子息子女らの墓石に混じって、江戸で亡くなった藩士とその家族の墓石も据えられています。これらを合わせると、墓所に所在する墓石の総数は三百基余になる。彦根藩主井伊家墓所は、豪徳寺、清涼寺(滋賀県彦根市)、永源寺(滋賀県東近江市)の三ヶ寺にあり、歴代藩主とその一族の墓が網羅されています。各墓所は、将軍家側近でもあった井伊家の姿を物語り、江戸時代の幕藩体制と大名文化を考える上で欠くことのできない貴重な通産であるため、一括で「彦根藩主井伊家墓所」として、平成20(2008)年3月28日、国史跡に指定されました。
ほかに直弼の墓守として一生を終えた遠城謙道、近代三大書家の随一日下部鳴鶴(いずれも旧彦根藩士)の墓、桜田殉難八士之碑があります。また同寺の草創を物語る、洞春院(吉良政忠)と弘徳院の宝靡印塔が残されています。
(現地説明板などより)
東急世田谷線宮ノ坂駅下車徒歩約5分
Photo Canon EOS 30D
H18.7.23
住所: 東京都世田谷区豪徳寺2丁目24-7
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