世田谷城(世田谷区)
現在は世田谷城址公園として整備されている世田谷城
2006年08月07日
世田谷城は、清和源氏・足利氏一族である吉良氏の居城として知られています。
貞治5(1366)年、吉良治家によって築城されたと言われていますが、定かではありません。
永和2年(1376)に吉良治家が鎌倉八幡宮にあてた文書から、おそくとも14世紀後半にはこの地に吉良氏が領地をもっていたことがわかっています。
吉良氏は清和現時・足利氏の氏族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。
応永33(1426)年には「世田谷吉良殿」などと称され、足利将軍家の御一家として諸侯から一目置かれる存在でした。はじめ鎌倉公方に仕え、15世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・江戸城の太田道灌に与力し、武蔵国の中心勢力として繁栄します。北条氏と上杉氏との勢力争いで、享禄3(1530)年には世田谷城は攻略されたと伝えられが、のち吉良氏の手に復しました。
その後、吉良頼康の代には、小田原北条氏と縁戚関係をもつようになりますが、天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めによる北条氏の没落に伴い、吉良氏は上総国生実(現千葉市)に逃れ、世田谷城は廃城になりました。
その後しばらくして、当地は彦根藩井伊家の所領となりますが、城内にあったとされる吉良氏の小庵、弘徳院は豪徳寺の前身といわれています。
武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に烏山川が蛇行し、北には小支谷が入ります。世田谷城の濠・土塁の構造は天文6(1537)年の再築とされる深大寺城のそれと類似しており、16世紀前半に防御の為、大改築がなされた事が窺えます。
(現地説明板などより)
現在は世田谷城址公園として整備されています。
Photo Canon EOS 30D
H18.7.23
住所: 東京都世田谷区豪徳寺2丁目
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