後瀬山城(小浜市)
若狭武田氏の本拠地・後瀬山城(のちせやまじょう)
2006年08月26日
後瀬山城は大永2(1522)年若狭守護武田元光によって築城されました。若狭守護武田氏は、甲斐源氏武田氏と同族です。
麓には居館を置き(空印寺、小浜小学校付近)、標高168mに石垣を配する主郭を持ち、大小あわせて139箇所の曲輪を持つ城でした。
若狭武田氏5代元光から信豊、義統、元明と四代続きましたが、永禄11(1568)年朝倉義景が攻め、元明は降伏、越前に連行されました。朝倉氏滅亡後は、丹羽長秀、浅野長吉(長政)、木下勝俊が城主となりました。
関ヶ原の戦い後に京極高次が城主となりましたが、日本海の近くに小浜城を築城し、後瀬山城は廃城となりました。本丸跡には、京極高次の娘が建てた愛宕神社の祠が建っています。
後瀬山城は標高168mの位置に石垣を配する主郭を置き、ここから山麓の現空印寺の位置にあった居館に通じる北側稜線と、本登山道に平行する東側稜線に、大小あわせて139か所の曲輪と呼ばれる平場の防御施設を設けています。これら2本の稜線に造られる曲輪をつなぐ道路が北東谷間に幾本もみられ「谷の横道」と呼ばれています。また、北側稜線の先端には、畝状竪堀・竪堀などを設け、防御を固めています。このことは、丹後国守護一色氏と度々戦火を交えた若狭武田氏が、西の小浜への入り口(青井口)の防御を強く意識していることを想定させます。
発掘調査が実施された主郭北西に位置する曲輪では、礎石建物跡とこれに付属する築山、そして多くの茶器類が検出されています。京都や当地において旺盛な文芸活動をみせた若狭武田氏の一端を示す調査例といえます。
廃城後に主郭に創建された愛宕神社への参詣道を利用し、歴史と自然を体感できるように遊歩道整備をしています。
Photo Canon EOS 30D
H18.8.25
住所: 小浜市小浜男山
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