箕輪城(高崎市・旧箕郷町)
箕輪城は永正9(1512)年長野業尚によって築かれました。長野氏は在原業平の子孫と言われ当主は「業」を名前の一字としています。
武田・上杉・北条の攻防の舞台となりましたが、戦国期の当主長野業正は上杉氏に味方し、武田信玄の攻略を6度退けたと言われています。
業正は永禄4(1561)年亡くなりましたが、遺言で「我が葬儀は不要である。菩提寺の長年寺に埋め捨てよ。弔いには墓前に敵兵の首をひとつでも多く並べよ。決して降伏するべからず。力尽きなば、城を枕に討ち死にせよ。これこそ孝徳と心得るべし。」と言い残しました。
死は長らく隠されましたが、その死を知った武田軍が来襲、跡を継いだ長野業盛はよく守りましたが、永禄9(1566)年に落城し、業盛は自刃しました。
その後武田氏の城代として内藤昌豊・昌月らが入城しましたが、武田氏滅亡後は滝川一益や北条氏邦が城主となりました。
北条氏滅亡後、徳川四天王の一人、井伊直政が城主となり、近代城郭に整備しましたが、慶長3(1598)年高崎城に移り、箕輪城は廃城となりました。
昭和62(1987)年12月17日、国の史跡に指定され、平成18(2006)年には日本100名城に指定されています。
国指定史跡で日本100名城の一つになっているだけあって、遺構はよく残り、土塁や堀、規模などに感動します。
※箕郷町(みさとまち)は、平成18年1月23日に、高崎市・倉渕村・群馬町・新町と合併しました。
Photo Canon EOS 30D
H18.9.16
住所: 群馬県高崎市箕郷町西明屋
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