金山城〔太田金山城・新田金山城〕(太田市)
岩松氏・横瀬(由良氏)の居城・金山城
2006年10月06日
金山城〔太田金山城・新田金山城〕は、新田氏一族の岩松家純が文明元(1469)年にその重臣横瀬国繁に命じ築いたとされています。
岩松氏は足利義純と新田義兼の女の子である岩松時兼を祖とする家柄です。
戦国時代、横瀬泰繁・成繁父子は岩松氏から実権を奪い、金山城は享禄元(1528)年、成繁が城主となりました。
成繁は由良氏に改姓し由良成繁となりました。
その後子の国繁が城主となり、天正12(1584)年には小田原北条氏に攻撃され、籠城半年、和睦開城し、由良氏は桐生城に引退し、北条氏より城代が派遣されました。
天正18(1590)年、小田原北条氏の滅亡とともに廃城となりました。江戸時代には金山「館林」として徳川幕府直轄地となりました。
昭和9(1934)年に国の史跡に指定されました。
平成6(1934)年からは物見台から日の池までの整備事業を行い、「石垣の山城」として復元がされました。
平成18(2006)年には日本100名城に指定されています。
金山城の構造は、日本式山城と朝鮮式山城との混合形式です。
本城水手郭に石垣をラセン状にした軍用貯水池があります。全城石垣で築かれた野面積です。
軍用植物として、竹。梅・蜜柑・茶・樫・さいから等が今でも残っています。
金山城は、金山丘陵全体に築かれた雄大な山城ですが、重要部分は、本城・西城・坂中城・八王子山矢倉台の四城郭です。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 30D
H18.9.17
住所: 群馬県太田市金山町
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