上赤坂城〔楠木城〕(千早赤阪村)
上赤坂城は、楠木正成が築城し、南北朝の攻防の舞台になった楠木氏の本城です。小根田城・桐山城・楠木本城とも呼ばれています。
元弘3(1333)年、鎌倉幕府との戦いでは楠木方の大将平野将監、楠木正季らが守りました。水路を絶たれ陥落しました。糞尿を敵にかけた奇策は「糞谷」という地名になって残っています。合戦の様子は『太平記』からもうかがえます。
城の遺構は、曲輪・堀切・竪堀・横堀で構成されています。とくに、大手前と搦手にある堀切群は堀を二重にしたおおがかりなもので、大手前の「そろばん橋」は特徴的です。遺構からみると戦国時代に改修されていますが、それ以前と考えられる遺構も残っています。
「一の木戸」「二の木戸」「三の木戸」「四の木戸」があり、二の木戸は、一の木戸から約50m、木戸とは城門の意味です。本丸に至るまでの道は「城阪」と呼ばれており、4つの木戸が設けられていたといわれています。東側には足谷川を挟んで二河原辺城、西側には一番のきり城跡・首切り場を望むことができます。 二の丸跡下です。
三の木戸は、一の木戸から約250m、この木戸を越えると二の丸(東の城)の曲輪が見えてきます。
これから先、「そろばん橋」、「四の木戸」を経て「茶碗原」に至ります。
平成17(2005)年の発掘調査では、焼けた壁土などが発見され、「太平記」で城が炎上した記述を裏付ける結果となりました。
城は、曲輪、堀切などがよく残っており、なかなか見応えがあります。
千早赤阪村学校給食センターが目印、そこから農道を上がると駐車場有り。
Photo KonicaMinolta Dimage A2
H18.10.8
住所: 大阪府南河内郡千早赤阪村大字桐山
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