弘前城(弘前市)
現存天守のある弘前藩津軽氏の居城・弘前城
2007年01月05日
弘前城は、津軽統一を成し遂げた津軽為信によって慶長8(1603)年に計画され、 二代信牧が慶長15(1610)年、築城に着手し、翌16年に完成しました。
当初は鷹岡城もしくは高岡城といいましたが、寛永5(1628)年、信枚が帰依する天海大僧正が名付けた弘前城と改めました。
寛永4(1627)年、天守を落雷で焼失しましたが、文化7(1810)年、9代藩主津軽寧親が三層櫓を新築するという名目で現存の3層天守を建てました。
明治4(1871)年廃藩置県となり、東北鎮台の分営が置かれましたが、明治6(1873)年、分営は廃止され、廃城令により本丸御殿などが取り壊されました。
明治28(1895)年、弘前公園として一般に公開されました。
現在は、堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめ、天守の他、二の丸辰巳櫓、二の丸未申櫓、二の丸丑寅櫓、二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、北の郭北門(亀甲門)が重要文化財に指定されています。
日本屈指の桜の名所として日本さくら名所100選に選ばれています。
昭和27(1952)年には国の史跡に指定され、現在は堀越城、種里城とともに「津軽氏城跡(弘前城跡)」という名称での史跡指定となっています。
平成18(2006)年には日本100名城に指定されています。
H8.10.9
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H24.7.12(写真差し替え)
住所: 青森県弘前市下白銀町
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