関ヶ原古戦場・毛利秀元陣跡〔南宮山〕(垂井町)
宰相殿の空弁当でお馴染みの南宮山・毛利秀元陣跡
2007年04月08日
毛利秀元は毛利元就の四男、穂井田元清の子として生まれました。従兄弟に当たる毛利輝元に実子が生まれなかったため、輝元の養子となりました。文禄4(1595)年に輝元に実子秀就が生まれると、跡継ぎの座を秀就に譲り、周防・長門両国の内20万石を分け与えられました。
関ヶ原の戦いでは、西軍の総大将となった輝元の名代として、1万5千の兵を率いて南宮山に陣を構えました。
秀元は出撃するつもりでいましたが、東軍に内応していた吉川広家に押し止められ合戦に参戦することができませんでした。安国寺恵瓊の度重なる出陣要請に対して、困惑した秀元は苦し紛れに「今弁当を使っている」と答えた話は「宰相殿のから弁当(空弁当・殻弁当)」といわれています。
大坂城に戻った秀元は輝元に立花宗茂等と徹底抗戦を主張しましたが、聞き入れられませんでした。
結局戦後、毛利家は周防・長門36万石のみに大幅に所領を削減され、秀元は6万石を分知され、長府藩祖となりました。
南宮山の山頂に案内板と石碑があります。南宮大社の本殿南側から南宮稲荷神社の参道を通り、安国寺恵瓊陣跡のある登山口から約1時間程度で毛利秀元陣跡につきます。
ハイキングコースとして整備されていますが、時々野生の鹿がいてびっくりさせられます。
毛利秀元陣跡からの眺望はなかなか素晴らしいです。ただ、関ヶ原古戦場より、東方の濃尾平野がよく見えます。
Photo Canon EOS 30D
H19.3.27
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