地黄陣屋〔地黄城・丸山新城〕(能勢町)
平安時代、多田満仲の一族が能勢に入部して土豪化し、のち国基の代に能勢郡を領有しはじめて能勢氏を名乗り、地黄陣屋の西側の丸山城を本拠地としました。
戦国時代は能勢頼次が当主でしたが、天正10(1582)年の本能寺の変で明智光秀方に味方し、そのため秀吉配下の河原長右衛門宣勝の乱入を受けて丸山城など城下は焼け野原となりました。
頼次は能勢を離散し、以後能勢は高山右近などが治めた後、天正16(1588)年には島津義久の在京賄料として与えられました。
頼次は不遇の時期を過ごしましたが、関ヶ原の戦いで東軍に味方し、軍功により旧領・領地を併せて1万石を与えられました。
慶長7(1602)年、頼次は野間社(布留の宮)の再建を手始めに、地黄陣屋(地黄城)と城下町の構築に着手しました。
地黄陣屋は普請奉行山田彦右衛門の縄張りにより、東西75m、南北110m、面積8200㎡、さらに大手、搦手、裏には堀をめぐらし、四方には石垣を高く築き高塀が設けられました。
城内には御殿、官宅をはじめ拾数屋舎が配され、北隅には三層の楼閣がありました。完成は元和元(1615)年とされています。能勢氏は明治2(1869)年の版籍奉還まで旗本(4008石)として続きました。
明治後は、明治2(1869)年12月2日、上地され、以後会議所として使用された後、明治8(1875)年、第二番小学校(地黄小学校)が開設、明治12(1879)年から明治14(1881)年には能勢郡役所となりました。
昭和34(1959)年、能勢町立東中学校の敷地になり、現在に至っています。
石垣などの遺構がよく残っています。
H19.4.28
Photo SONY NEX-7
H26.12.13(写真差し替え)
住所: 大阪府豊能郡能勢町地黄211
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