高槻城(高槻市)
現在は城跡公園になっている高槻城
2007年04月29日
高槻城は、14世紀前半に入江左近将監春則が居城としたのがはじまりとされています。
戦国時代には、永禄12(1569)年に和田惟政が城主となりましたが、元亀4(1573)年に高山飛騨守友照、右近父子が和田惟政の子惟長を倒し、高槻城主となりました。高山右近は城内に天主教会堂をたてるなどキリスト教の布教に努めました。
摂津国主である荒木村重が織田信長に反旗を翻した天正6(1578)年、村重へ子や妹を人質にだしていた右近に、信長はオルガンティーノ司祭を使いとし、降伏をすすめました。これに対し右近は、苦悩の末開城したといわれています。高山右近は天正13(1585)年摂津国船上城(明石市)に移封されるまで城主でした。その後は新庄直頼が3万石で高槻に入城しました。
江戸時代に入ると、高槻城は北摂唯一の城となりました。 内藤、土岐、形原松平、岡部家など譜代大名が相次いで城主になりました。
慶安2(1649)年には譜代大名の永井直清が城主となり以後13代、高槻藩3万6千石の居城となり明治維新にいたります。明治7(1874)年に鉄道建設のため、城は破却されました。
現在は、城跡公園となっていますが、城があったという痕跡はほとんど残っていません。城跡公園敷地内には、歴史民俗資料館・高槻城主だった高山右近の銅像と模擬復元された石垣があります。
平成26(2014)年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の第11回「命がけの宴」の「官兵衛紀行」で紹介されました。
Photo KonicaMinolta Dimage A2
H19.4.28
住所: 高槻市城内町
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