福島正則生誕地(あま市・旧美和町)
二ツ寺(美和町)出身の福島正則生誕地碑
2007年06月03日
福島正則は永禄4(1561)年にこの地・二ツ寺で生まれました。生誕地跡には、石碑と案内板があります。屋敷跡は、碑の南西(現在は水田)に約千坪あったといわれ、一般的には桶屋の倅だったといわれていますが、よくわかっていないようです。
正則の父は市兵衛正信、母は秀吉の叔母でした。幼名は市松といい、12歳の時にあやまって人を殺め、新居屋の赤林掃部に助けられ、駿河の福島某にあずけられ、福島姓を名乗るようになったといわれています。
その後、秀吉に従って18歳で初陣、山崎や賤ヶ岳での戦いで手柄を立て、賤ヶ岳七本槍の一人に数えられました。
天正13(1585)年には伊予今治の城主となり、さらに文禄4(1595)年には、尾張清洲24万石の城主となりました。
慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは東軍(徳川家康方)に味方し手柄をたて、戦後安芸・備後49万石を与えられました。
その後、元和5(1619)年に城の無断修築等を咎められ信濃川中島5万石に移されました。寛永元(1624)年信濃高井野で死去しました。
勇敢な武将であっただけでなく、土木水利事業を進めたり備後畳表の製造を奨励するなど優れた民政家であったと伝えられています。また、幼年期に隣村の甚眼寺観音で読み書きを習っていたため、甚目寺観音の復旧工事に自ら従事しています。また、名古屋城築城の時には堀川を開削するなど尽力し、名古屋の発展の基礎を築きました。
正則の弟福島高晴(正頼)、広島城の城代家老をつとめた福島丹波守治重もこの地の出身です。
Photo Canon EOS 30D
H19.6.1
住所: 愛知県あま市二ツ寺
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