黒田職隆廟所〔筑前さん〕(姫路市)
黒田官兵衛の父、黒田職隆の墓
2007年06月23日
黒田職隆は黒田重隆の子で、黒田官兵衛孝高(如水)の父として知られています。隠居後の黒田宗円の名でも知られています。
黒田氏は重隆の代の時、播磨に入国し、御着城主小寺政職の重臣となり姫路城代になりました。政職は更に重隆の子には自分の偏諱を与え、職隆と名乗らせ自らの養女を嫁がせ、小寺の名字を名乗らせました。
羽柴秀吉の播磨侵攻にあたり、黒田職隆、孝高父子は天正8(1580)年、姫路城を秀吉に譲り、妻鹿国府山城(功山城)に移りました。
廟所は、南北約15m、東西約12mの規模で、中央の廟屋内に大型の五輪塔が建っています。五輪塔は角礫質凝灰岩製で、地輪に刻銘があります。
江戸時代の古文書「播磨古事」等によれば、天明3(1783)年10月、姫路城下の心光寺住職入誉が墓所発見を福岡藩に報告し、翌年10月、福岡藩が玉垣を巡らし、廟屋を整備するなどしたとされます。現在の廟屋は昭和52(1977)年に地元自治会が整備したものです。
北約800mには職隆が晩年に在城したとされる妻鹿国府山城(功山城)があります。
(現地説明板などより)
この墓碑は、俗に「筑前さん」と呼ばれています。後に筑前福岡藩主になった黒田氏の先祖と言うことで、そのように呼ばれるようになったのでしょうか。。行き止まりの道路の先にありますが、北側の公道に「筑前さん参道」の石碑が建っているのが目印です。
H19.6.23
Photo SONY NEX-7
H26.3.25(写真差し替え)
住所: 兵庫県姫路市飾磨区妻鹿
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