国府山城〔妻鹿城・功山城〕(姫路市)
姫路城を秀吉に譲った黒田官兵衛が移った国府山城
2007年06月24日
国府山城は、市川左岸にある標高102mの高さの甲山(功山・国府山とも呼ばれています。)にあります。別称が多く、妻鹿城・功山城・甲山城・袴垂城ともいわれています。
初代城主は、薩摩氏長の子孫で「太平記」で有名な妻鹿孫三郎長宗です。長宗は元弘の戦(1330年頃)赤松円心に属して功を立て、その功によって妻鹿地方を領有するようになり、ここ功山に城を築いたといわれています。
その後、黒田官兵衛孝高の父職隆は、天正元(1573)年に姫路城から国府山城に移り居城としました。ちなみに黒田職隆の父重隆の妻は、妻鹿氏の出身です。
また、天正8(1580)年三木城主別所長治を滅ぼした羽柴秀吉は三木城を居城にしようと考えましたが、黒田官兵衛は三木城が戦略的に不備であることを進言し、自らの居城である姫路城を秀吉に譲り、国府山城に移りました。
天正13(1585)年職隆が没した後は、廃城となったようです。
甲山山麓の荒神社から登城します。登城口には「妻鹿城址」の石碑が建っています。
荒神社は、奥津彦命・奥津姫命が祀ってあり、甲山経塚から出土した二仏の泥塔がご神体です。
この荒神さんは、かまどの神様で拝殿天井には「オコゼ」の絵馬が多数奉納されています。また、境内には黒田官兵衛ゆかりということで目薬の木が植えられています。
(ホームページURLは登城口と石碑付近)
H19.6.23
Photo SONY NEX-7
H26.3.25(写真差し替え)
住所: 姫路市兼田
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