吉田松陰誕生地(萩市)
萩城下を見下ろす高台にある吉田松陰誕生地
2007年09月24日
吉田松陰誕生地は、吉田松陰の実家で樹々亭、山屋敷とも言われる長州藩士杉家(家禄26石)の旧宅地です。この附近は、団子岩と呼ばれる風光明媚な所で、萩城下が一望できます。
松陰は天保元(1830)年8月4日杉百合之助の二男としてこの地に生まれました。両親や兄弟と共に農耕に従事し、その合間には父から漢籍の素読などを受けました。
間取りは玄関(3畳)、表座敷(6畳)、居間(6畳)、隠居部屋(3畳)、納戸(3畳)、台所、それに別棟の納屋と厩という、非常に狭く、簡素な造りでした。
嘉永6(1853)年に杉家が転居した後、いつしか建物などは失われ、荒れ果てていましたが大正11(1922)年に椿東村青年会会長信国顕治が、青年会員に呼びかけて整備しました。当時の間取りを示す旧宅の敷石も、後に住んでいた人の記憶によってこの時復元したものです。
整備にあわせて山県有朋が「吉田松陰先生誕生之地」の石碑の題字を揮毫しています。肩書きを門下生のみとしているところに、師に対する謙譲の気持ちが表れています。なお、山県有朋は整備完了前に死去したため、これが絶筆となりました。
昭和20(1945)年に萩市に寄付され一部を市道に、他を公園にしました。昭和48(1973)年には明治維新100年を記念して、吉田松陰・金子重輔の銅像が建立されています。
平成27(2015)年の大河ドラマ「花燃ゆ」の第1回「人むすぶ妹」の花燃ゆ紀行で「文の生家跡(吉田松陰誕生地)」として紹介されました。
H19.9.6
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.12.29(写真差し替え)
住所: 山口県萩市椿東
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