萩城・詰丸(萩市)
指月山山頂に設けられた萩城詰丸跡
2007年09月26日
萩城は、山の名をとって指月城とも呼ばれ、麓の平城とあわせ山頂に詰丸を設けました。
指月山の山頂(標高143メートル)は当時まわりを石垣で囲み、その区域を詰丸または要害といい戦時に最後の籠城をするところで、狭いながら本丸・二の丸を置いて陸と海とを監視するため、矢倉数箇所・天水溜二箇所などをもつ望楼でした。
平時は6・7名の要害番が泊りこみ陸と海を監視していました。
東側の本丸と西側の二の丸との間には石垣と塀があって、門で連絡をしていました。
本丸は、東西24間(43.2メートル)、南北20間(36メートル)で、藩主の初入国あるいは幕府の巡見使の登山時に使用する休憩用の茶屋がありました。
二の丸は、東西19間(34.2メートル)南北20間(36メートル)で、監視所としての要害番所と要害番中間の居小屋がありました。
周囲は、一丈(3.03メートル)以上の高さの石垣の上に、鉄砲狭間を施した白亜の土塀をめぐらし、要所に矢倉5か所、二階倉2か所を配置していました。
また詰丸には、井戸がなかったので、本丸の大岩の傍らに貯水池、二の丸に用水槽を設置し、水を確保したが現在もその遺構がみられます。
昭和41(1966)年度に山口県の補助をうけ、市民の憩いの場として整備され、登山道約730メートル、所要時間約20分で詰丸跡に達します。残念ながら木々に遮られているため眺望はあまり楽しめません。それでも遺構が残っているのでお城が好きな人には満足できます。
Photo Canon EOS 30D
H19.9.6
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