下関条約が結ばれた春帆楼の敷地にある日清講和記念館
2007年10月13日
日清講和記念館は、この地で開かれた日清講和会議と、下関条約と呼ばれる講和条約の歴史的意義を後世に伝えるため、昭和12(1937)年6月、講和会議の舞台となった春帆楼の隣接地に開館しました。
明治28 (1895)年3月19日、清国の講和使節団を乗せた汽船が関門海峡の沖合に停泊しました。翌日から下関の料亭春帆楼で日清講和会議が開催されました。この講和会議には日本全権の伊藤博文、陸奥宗光、清国全権の李鴻章をはじめ両国の代表11名が出席しました。 講和に向けて会議はくり返しおこなわれ、4月17日に講和条約が調印されました。
下関が講和会議の地に選ばれたのは、日本の軍事力を誇示できる最適な場所であったからです。事実、日本の軍船が大陸に向かい狭い海峡を通過する光景は、清国使節団に脅威を与え、その後の交渉は日本のペースで展開したといわれます。
このとき調印された講和条約は下関条約と呼ばれ、清国は日本に朝鮮半島の独立承認・領土の割譲・賠償金の支払い等を約束しました。
日清講和記念館はその会議で使用された調度品やその他貴重な資料を公開、展示するために昭和10(1935)年から2年かけて建設されました。
記念館は春帆楼の敷地内にあります。
平成23(2011)年1月26日、国の登録有形文化財に登録されました。
館外には伊藤博文と陸奥宗光の銅像が建っています。
開館時間 9:00~17:00
入場料 無料
Photo Canon EOS 30D
H19.9.7
住所: 下関市阿弥陀寺町4-3