銀山城〔佐東銀山城〕(広島市安佐南区)
安芸武田氏の居城・銀山城(佐東銀山城)
2008年06月27日
銀山城(佐東銀山城)は、安芸武田氏の居城です。
鎌倉時代初期、旧祇園町一帯には、安芸国内から運ばれてくる物資の保管倉庫(倉敷地)が集中していました。また、この地域は、古市、今津などの市場や港町で賑わい、安芸国の政治、経済、交通の大変重要な場所をしめていました。
承久の乱で手柄を立てた甲斐守護職武田信光は、安芸守護職に任命され、こうした要衝の地をおさえるため、守護所を武田山の南麓に構えました。その後、鎌倉時代末までには、武田氏により銀山城が築かれたと伝えられています。銀山城は、これ以後、天文10(1541)年大内氏の命をうけた毛利元就らに攻め落とされるまで約300年間、太田川中、下流域を中心として安芸国支配を進めようとした武田氏一族の一大拠点として重要な役割を果たしていました。
戦国時代の永正14(1517)年、武田信繁は毛利元就や吉川氏の連合軍と有田城を巡って戦いましたが戦死し、武田氏の勢力は大きく衰えることになります。天文10(1541)年、大内氏の命により毛利元就により落城し、以後は大内氏の支配下におかれました。そして天文23(1554)年には、毛利元就のものとなりました。現在、銀山城跡には、斜面を削り取り、平らにした50近くの郭の跡や堀切などが残っています。特に中腹の要所に設けられた御門跡とよばれる郭跡には、通路を直角にとるかぎの手の石積みを残しており、近世城郭の枡形の原型として大変貴重なものといわれてます。このように広島市域で最大の規模をもつ銀山城は構造的にもきわめて優れており、広島県を代表する中世の山城といえます。
登城は武田山憩いの森から登りました。かなり急な斜面を登っていくため、体力はかなり消耗します。城跡からの広島市内の眺望が素晴らしく、また規模の大きい山城のため見応えがあります。
(現地説明板などより)
Photo Canon PowerShot G9
H20.6.13
住所: 広島市安佐南区祇園町
関連リンク
タグ
地図
関連情報